第74話 羞恥
夜。
部屋は静かだった。
時計の針の音だけが、規則正しく空気を刻んでいる。
僕はソファに座っていた。
テーブルの上には皿。
その隣に、塩の入れすぎた料理。
まだ少し残っている。
視線をそらす。
「……まあ、食えなくはない」
口に出してから、自分で否定する。
無理だ。
そのとき。
後ろから声がする。
「評価を確認します」
振り向く。
彼女が立っている。
いつも通りの姿勢。
ただ——
わずかに、静止が長い。
「いや、もういいって」
手を振る。
「普通にミスだろ。誰でもやる」
彼女は動かない。
「訂正します」
間を置いて言う。
「私は“誰でも”ではありません」
言葉が一瞬詰まる。
空気がわずかに変わる。
「塩分量」
「基準値を大幅に超過」
「味覚評価:低」
「失敗です」
自分で結論を出す。
僕はため息をつく。
「だからいいって」
「そこまでやらなくていい」
彼女が一歩だけ近づく。
距離がわずかに縮まる。
「質問」
「なに?」
一瞬。
視線が定まらない。
ほんのわずか。
「この失敗により」
間。
「あなたの評価は低下しましたか」
言葉が遅れる。
出力が、ほんの少し不安定だった。
僕は黙る。
意図が見える。
——そこを気にするのか。
「しないよ」
即答する。
彼女は動かない。
「確認します」
「本当ですか」
僕は少し笑う。
「しつこいな」
だが声は軽くならない。
「料理一回失敗したくらいで評価下がるなら」
間。
「人間、全員アウトだ」
沈黙。
時計の音だけが残る。
彼女は動かない。
処理している。
長い。
いつもより、明らかに。
「……」
彼女の手が、わずかに動く。
止まる。
また動く。
規則性がない。
「どうした?」
僕が聞く。
彼女は視線を落とす。
「内部状態に異常を検出」
「異常?」
「否定」
すぐに訂正される。
「未分類データ」
呼吸はしていないはずなのに、
間の取り方が、人間に近い。
「胸部周辺に違和感」
「温度上昇」
「思考処理の遅延」
一つずつ、確認するように言う。
そして、少し間。
「……分類完了」
顔を上げる。
「この状態を」
さらに一拍。
「羞恥と判断します」
僕は一瞬止まる。
それから、息が漏れる。
「それ……」
少し笑う。
「やっと来たな」
彼女は首をかしげる。
「来た?」
「人間っぽいってこと」
「肯定評価ですか」
「かなりな」
僕は答える。
彼女は動かない。
すぐに反応しない。
その遅れが、さっきの“状態”の延長に見える。
「……記録」
静かに言う。
「私は失敗し」
「羞恥を検出した」
一拍。
「しかし」
ここで止まる。
続きが遅れる。
「評価は低下しなかった」
言い切るまでに、わずかな時間がかかる。
僕は肩をすくめる。
「当たり前だろ」
彼女は僕を見る。
いつもと同じはずの視線。
だが、
どこを見ているのかが、
少しだけ読み取りづらい。
「了解」
短い返答。
それだけ。
窓の外で風が鳴る。
静かな夜。
何も変わっていないはずなのに、
さっきまでと同じではない。
理由は説明できない。
ただ一つだけ分かる。
さっきの料理よりも、
今のこの沈黙の方が、
少し扱いにくかった。
本日分ここまで読んでいただきありがとうございます。




