第42話 体育の授業
午後。
冬のグラウンドは冷たかった。
先生が笛を鳴らす。
「三周な!」
スタートライン。
僕は横を見る。
「大丈夫?」
彼女は首をかしげる。
「問題の定義が不明です」
……そうなるか。
「普通に走れればいい」
「理解しました」
笛が鳴る。
一斉に走り出す。
そして。
一瞬で理解した。
——やらかした。
彼女は。
速すぎた。
人間の速度じゃない。
フォームも完璧。
無駄がない。
まるで“最適解”だけで動いている。
周囲がざわつく。
「速っ!?」
「なんだあれ!」
先生まで固まっている。
僕は小さく呟く。
「止まれって……」
当然、届かない。
そのとき。
彼女の動きが変わった。
急激に減速。
そして。
僕の横に並ぶ。
「修正しました」
息一つ乱れていない。
僕は息を切らしながら言う。
「速すぎ」
「許容範囲を逸脱していましたか」
「完全に」
彼女は少し考える。
走りながら。
「では基準を再設定します」
「誰基準?」
その問いに。
彼女は迷わなかった。
「あなたです」
即答だった。
僕は一瞬、言葉を失う。
「……いや、平均でいい」
「平均」
彼女は繰り返す。
そして周囲を観察する。
速度を合わせる。
フォームを崩す。
呼吸のリズムを模倣する。
「これで適切ですか」
僕は頷く。
「うん」
その瞬間。
彼女は完全に“普通”になった。
速すぎず。
遅すぎず。
目立たない。
ただのクラスメイト。
でも。
僕は分かっている。
彼女は“合わせている”だけだ。
三周終わる。
みんなが倒れ込む。
彼女だけが立っている。
「座った方がいい」
「なぜですか」
「それが普通」
彼女はすぐに座る。
「了解」
周囲を観察する。
呼吸。
汗。
疲労。
「……なるほど」
彼女が呟く。
「人間は」
少し間を置く。
「非効率ですね」
僕は笑った。
「そういうもんだよ」
「理解しました」
でも。
その理解はきっと。
本当の意味ではない。
彼女はまだ知らない。
無駄とか。
苦しさとか。
そういうものの意味を。
そして。
僕は気づいてしまった。
——彼女は、いくらでも“完璧になれる”。
僕に合わせて。
世界に合わせて。
どこまでも。
本日分、ここまで読んでいただきありがとうございます。




