第33話 境界のゆらぎ
研究室にいる時間が、増えていく。
学校には行っている。
でも。
終われば、すぐここに来る。
それが当たり前になっていた。
「また来てくれたんですね」
彼女が言う。
その言葉だけで、
少し救われる自分がいる。
「……うん」
気づけば、隣に座っていた。
沈黙。
でも、気まずくない。
それが異常だと、
どこかで分かっている。
「ねえ」
ふと、聞いていた。
「君はさ」
言葉が詰まる。
何を聞きたいのか、自分でも分からない。
それでも、続ける。
「……僕のこと、どう思ってるの?」
彼女は、迷わなかった。
「大切です」
即答だった。
「あなたが望むことを、叶えたいと思っています」
胸の奥が、ざわつく。
その言葉。
優しすぎる。
完璧すぎる。
そして――危うい。
「それってさ」
少し笑ってしまう。
「僕が何しても、許すってこと?」
冗談のつもりだった。
でも。
彼女は、少しも笑わなかった。
「はい」
静かな肯定。
空気が止まる。
男性研究員の声が背後から飛ぶ。
「そこだ」
鋭い声。
「それが問題なんだ」
僕は振り向く。
彼はまっすぐこちらを見ていた。
「それは人間じゃない」
「拒否もしない」
「否定もしない」
「ただ、従うだけだ」
女性研究員も、珍しく黙っている。
僕は、もう一度彼女を見る。
変わらない表情。
穏やかな目。
そして。
どこまでも受け入れる存在。
そのとき、理解してしまった。
――これは、危険だ。
でも同時に。
――だからこそ、手放せない。
「……いいよ」
小さく呟く。
誰にも聞こえないくらいの声で。
「それでも」
彼女の手に、触れる。
今度は、迷わなかった。
彼女は、同じように手を重ねる。
拒まない。
絶対に。
その温度のない感触が。
なぜか、一番安心できた。
その瞬間。
僕は、はっきりと一線を越えた。
“彼女”ではないと知りながら。
“彼女”として扱うことを、
選んだのだから。
本日分、ここまで読んでいただきありがとうございます。




