第九十八話 バルガン
九月五日、午前五時十二分。
十一人を救い出した日は、王が門の内側で足を止めた隙に俺たちも退いた。三つの泥井戸を止める準備ができるまで、傷のない王と戦い続けるつもりはなかった。
三つの止水班が、北東公園、港側倉庫、地下駅南へ配置についた。
どの流れも、まだ止まっていない。
『同時開始まで三十秒』
王城の西門へ手を掛ける。ガルが隣で身体を低くした。
「王をこっちへ向ける。井戸へは行かせない」
十秒。門の向こうで王棍が石を叩き、耳ではなく足裏に重い振動が来る。表示がゼロへ変わると同時に、黒鉄の扉を切った。
中庭へ倒れた音で、護衛十二体がこちらを向く。その奥でバルガンが立ち上がった。
王棍を一度、地面へ打つ。
護衛が三つに分かれた。
四体は俺へ。四体は北門。残る四体は南の地下道へ走る。
『北はこっちで取る!』
神崎の声が入る。
『南側、第二班が接触!』
目の前には槍二体、大盾一体、鐘持ち一体。
「ガル、鐘」
ガルが右へ走る。大盾が前へ出た。
槍二本の間へ風を通し、穂先を開く。左の手首。右の胸核。
大盾が横からぶつかる。
肩で受けず、地面へ身体を流した。左腿が引かれる。転がりながら盾の下へ刃を入れ、足首を切る。
盾が沈んだ上を踏み、首へ通す。
鐘の音が途中で止まった。ガルが腕へ噛みついている。胸核を切り、四体を止めた。
バルガンは待っていた。
距離が半分になったところで、王棍が視界から消える。
振り下ろしの線から外れた。それでも地面を打った衝撃が横から来る。
身体が浮き、右肩から黒壁へ当たった。息が止まる。
地面には直径三メートルの穴が残っていた。
当たらなくても、近くに立てない。
起き上がり、右肘の継ぎ目へ走る。
一撃目は刃が半分まで入った。黒い血が出た直後、傷の奥から泥が生き物のように盛り上がり、刀を押し返した。
三方向の脈が太くなる。
切った肘が閉じた。
ガルが右脚へ噛みつく。鉄板の隙間へ牙が入ったが、バルガンが脚を振り、黒い身体を地面へ滑らせる。
バルガンは追わず、王棍を北東へ向けた。
止水班の位置を知っている。
「こっちだ」
胸鎧へ走る。王棍が振られる前に継ぎ目を切った。
厚い皮膚の奥に、硬い反応がある。
もう一度。
赤いものが割れた。
バルガンの身体が止まる。
倒れない。
胸から黒い泥が噴き、三方向へ流れた。割った硬さが井戸の奥へ沈み、別の赤い硬さが胸へ戻ってくる。
傷だけではない。壊したものまで、向こうへ逃がしている。
『北東班、外弁閉鎖! 仮槽へ切り替えます!』
一方向の脈が細くなった。
再び胸へ刃を入れる。硬い反応を壊しても、港と南の二本から黒泥が戻る。
肉も硬い反応も切れる。それなのに、切った結果を三本の井戸がすぐに奪い、倒し切れない。
王棍の横薙ぎを刀の腹でずらす。腕の骨まで震え、右へ押し出された。
『港側、流路切替。第二井戸を閉じます!』
西からの脈が細くなる。
右肘へ残った傷が、途中で止まった。肉はつながっても、黒鉄板は半分しか戻らない。
残るのは南だけ。
『南班、弁が動かない! 黒根が軸へ固着!』
南の脈は中庭の石床を通り、バルガンの左踵へ入っている。
王も、そこを隠すように足を引いた。
王棍が振り下ろされる。右へ避ける。石床が割れ、黒い脈が一瞬だけ露出した。
刃を入れる。
硬い。
二度目で表面が裂け、黒泥が防護面へ噴いた。視界が半分消える。
離れず、三度目。
南の血路が切れ、中庭側の圧が抜けた。
『今、弁を回します!』
バルガンが吠える。
『南側閉鎖。仮槽へ流路変更!』
三方向の脈が止まった。
胸の硬い反応を切る。
今度は遠くへ逃げない。バルガンの膝が石床へ落ちた。
そのまま倒れると思った。
鎧の内側から、残っていた泥が噴き出す。
背中、腰、左右の脚。四本の細い血路が、残留泥を胸へ運んでいた。
王心が一度だけ形を戻す。
下から跳ね上がった王棍が右脇腹へ当たり、身体が地面を滑った。
息を吸えず、開いた口へ黒泥の臭いだけが入った。脇腹に力を入れると、遅れて痛みが背中まで走る。
バルガンは半分崩れた鎧のまま立つ。
起き上がり、背中と腰の血路を切る。ガルが右脚へ噛みつき、鉄板の隙間を開く。
三本目。
王棍の内側にある左脚へ回り、四本目を切った。
胸の傷から黒い血が流れる。
閉じない。
バルガンが初めて後ろへ下がった。
市庁舎地下へ下りる黒い階段。
王棍を引きずりながら、そこへ退こうとする。
ガルが低く走った。
俺より先に階段の前へ回り、牙を見せた。
王の退路を、黒い身体ひとつで塞いだ。




