第89話「判定」
『排除判定開始』
静寂。
何もない空間。
音もない。
重さもない。
前後左右の意味すら薄い。
立っている感覚だけが、かろうじて自分の中に残っていた。
少しでも気を抜くと、その感覚ごとほどけそうだった。
「……完全に切り離されたな」
周囲を見る。
だが、見るという行為自体にあまり意味がない。
「……意味ねぇな」
空間そのものが存在しない。
立っているという感覚だけを、自分で辛うじて維持している。
「……ここは」
「……場じゃない」
その瞬間、“それ”が動いた。
だが——。
「……見えねぇ」
動きがない。
変化も見えない。
それでも、体の奥だけが先に反応した。
「……来てる」
回避。
だが、その時点では何も起こらない。
「……遅い?」
違う。
次の瞬間。
——ドンッ。
遅れて衝撃が来た。
何もないはずの場所で、骨の内側だけがあとから殴られる。
順番をずらされるのが気味悪い。
「……時間ズレか」
「……殴るより先に、消されるほうが面倒だな」
流れ。
ズレ。
何もない空間の中で、ひとつだけ異物のように浮くタイミングがある。
「……判定より先に動く」
踏み込む。
「——斬る!」
——スッ。
当たらない。
刃は空を切った。
「……噛み合ってねぇな」
“それ”がわずかに揺れる。
『適応確認』
「……だろうな」
在真は笑う。
「……じゃあ、外れる」
踏み込む。
時間のズレに合わせる。
ほんの少し前。
未来視で拾った断片へ、今の自分を重ねる。
向こうの順番に入るんじゃない。判定の枠から半歩だけ外れたまま触りに行く。
「……今だ」
剣を振る。
——ガキンッ。
初めての衝突。
乾いた手応えが、何もない空間に確かに残った。
「……乗らなかったな」
“それ”が止まる。
一瞬だけ。
『異常』
その言葉と同時に、領域の質が変わる。
「……次か」
今度は“重さ”が戻った。
だが普通の重力じゃない。
骨の内側にまで沈み込んでくるような、異常に濃い圧だった。
肩も膝も重いのに、それ以上に名前のついた自分が沈んでいく感じが嫌だった。
「……重すぎるな」
体が沈む。
それでも膝はつかない。
「……変えてくるな」
“それ”がこちらを見る。
『排除継続』
「……鬱陶しい」
少し笑う。
「……まだ落としきれねぇだろ」
踏み込む。
重さの中。
筋肉じゃなく、存在の輪郭ごと押し上げる感覚で前へ出る。
普通に踏ん張っているのに、別の場所で自分を持ち上げ直している感じがした。
「……動けるな」
問題ない。
「——斬る!」
——ガキンッ!!
再び衝突。
今度は深い。
さっきより確かに届いている。
「……通るな」
“それ”が初めて、わずかに下がった。
倒したわけじゃない。
こっちを、排除するだけの対象ではなく見直しただけだ。
勝った感触じゃない。
ようやく判定の外へ片足だけ出せた感じが残る。
静寂。
『……上昇確認』
その言葉に、在真は短く息を吐く。
「……ああ」
少しだけ笑う。
「……まだ入口だな」




