第八十一話 解放計画
七月三十一日、午前十時。
会議室までの階段は十六段だった。上り切る前に左腿の奥が熱を持ち、杖へ体重を逃がす。
「遠隔でもよかったでしょう」
後ろから来た東條が言った。
「地図を見たかった」
「同じものは画面にも出します」
「同じ大きさじゃない」
東條はそれ以上言わず、扉を開けた。
壁一面に東浜の地図が貼られている。赤い占領域の外へ、青、黄、白の線が重なっていた。
神崎、右腕を吊った千景、軍の現地指揮官、消防の救助責任者、医療調整員。ほかにも地図と端末を持った人間がいて、椅子の背には現場で乾ききらなかった防護上着が掛けられていた。冷房の風に混じって、泥と消毒液の匂いがする。
俺が座ると、東條が北側の白線を指した。
「八月七日、午前五時半に第一進入。初日に街を全部取り戻す作戦ではありません。占領域の拡大を止め、帰れる道を作り、残っている人を探す。そのあとで補給を切ります」
「王城までの日数は」
「決めない」
神崎が先に答えた。
「救助対象を残して、予定どおり王城へ着いたって意味ないだろ」
市庁舎周辺に黒い四角がある。黒鉄王城。その周りに巣が七つ、港へ向かう補給線が二本、青黒い円が三か所。
「この円は?」
「泥井戸。地中の水と魔力を混ぜて、負傷個体と巣へ送ってるみたい」
千景が地下構造を重ねた。
「一つは地下鉄の真上。壊すなら、先に下を見たい」
「地盤ごと落とす可能性があるのか」
「ある。水道も近い」
「じゃあ、刀で井戸ごと切るのはやめる」
千景はうなずき、俺の杖へ一度だけ目を落とした。
神崎隊は北側運河から高架道路まで。占領域から外へ出ようとする群れを止める。軍は西部物流道と港側の封鎖。消防と医療は青線の外に搬送所を三つ置き、救助隊は確認済みの白線だけへ入る。
「俺が中へ入っても、神崎は追わない」
「追いつけないのもある。こっちが抜けたら後ろが開く」
「分かった」
神崎は返事の代わりに、自分の防衛線へ太い指を置いた。その指が離れれば、赤い矢印が青線へ届く。
千景は六本の標杭を地図の脇へ置いた。
「新しい二本は材料が違って、まだ距離が安定しない。今回は使わない。六本を長く並べるんじゃなくて、救助区画ごとに回収して使う」
「更新は千景だけでやるのか」
「三つの救助隊と受付にも権限を分ける。確認時刻と最後に歩いた人がない道は、通行可にしない」
前の事故の話は出なかった。規則の中には残っている。
東條が北西外縁から赤い線を引いた。
「大月さんとガルは、ここから。外縁の巣、港への補給路、残留者捜索、泥井戸三つ。その先に王城とバルガン、最後が黒鉄門中枢です」
「中枢から先に切ったら?」
「新しい流出は止まるかもしれない。でも、中にいる群れも巣も消えません。最短経路は地下街を通ります」
最後に連絡があった場所の一覧が置かれた。地下駐車場、地下駅、古い商店の倉庫。電源の切れた端末が集まっていた場所もある。
「最短では行かない」
口にすると、左腿が椅子の中で脈打った。
「外から開ける。補給を切って、人を探してから王城へ行く」
「人を見つけたあと、どうする」
神崎に聞かれ、地図から顔を上げる。
「ガルなら匂いを拾える」
「十二人見つけても、お前一人じゃ運べない」
「救助隊へ渡す」
「それでいい」
東條が役割表へ線を引く。決まったあとも、空白は減り切らなかった。
確認済みの副出口は三つ。地下振動は、もう一か所。建物強度は占領域の半分以上が未確認で、行方不明者三百十二人のうち何人が区域内にいるかも分からない。
誰も空白を都合のいい予想で埋めず、分からない、と書いたまま会議を終えた。片づけの途中でも、地下駐車場の疑問符だけは壁に残された。
八月一日から六日まで、地図と役割は毎日変わった。
無人機が一つ落ち、港側の入口が西へずれた。地下振動は副出口ではなく、オークの補給坑らしいと分かった。装備不足で外れた救助隊の代わりに、別の隊が入った。神崎隊の戦線離脱者二人は戻らない。
戻せる人数だけで組み直した。
俺は毎朝、平らな道を少しずつ歩いた。刀は抜かず、鞘を持って肩と腰の動きを確かめる。ガルも庭を一周するだけで走らなかった。
六日の午後、俺とガルはもう一度検査を受けた。
「連続戦闘は認めません。痛みが増えたら、その日は終わり。回復薬で隠して続けないでください」
「分かった」
同じ言葉を書面にも書いた。
夜、天羽々斬を鞘から少し抜く。洗浄と点検を終えた刃に、部屋の光が細く映った。
ガルの新しい肩帯を締め、破損時に外れる留め具を一つずつ引く。
玄関には補給袋と防護具が並んでいた。その上へ東浜の地図を置く。
中央の王城まで、赤い場所が続いている。
最初の印は、いちばん外側にあった。




