第七十九話 間に合わなかった街
目を覚ますと、窓の外が明るかった。
七月二十二日、午前六時四十分。
左腿は厚い固定具の中にあり、身体を起こしただけで傷の奥が引きつった。喉にも灰が残っているようで、息を深くすると咳が出る。
枕元の端末は充電されていた。
東條から十一件、神崎から六件、千景から三件。最初の日付は七月十五日だった。
東條の通知を古い順に開く。
黒鉄門、外郭値上昇。
主入口決壊。
旧商店街、地下副出口確認。
短い文の下へ、新しい地図が重なっていく。最後の一枚では、港から市庁舎までが赤くつながっていた。
映像を開く。
大通りを塞ぐ黒い石壁は信号機より高い。壁の上には弓を持ったゴブリンが立ち、港の倉庫から運び出した木材と車体で柵を作っている。
数字より先に、開いたままの軽自動車の扉が目に入った。
持ち主が戻れなかったことだけが分かる。
ベッドの端へ右脚を下ろした。左を動かしたところで固定具の奥が熱くなり、足裏が床へ届く前に身体が傾く。
柵をつかんだ。金属が大きく鳴った。
「何してるの」
扉のところに東條が立っていた。前に会った時と同じように書類を抱えているが、目の下の色は濃くなっていた。
「東浜へ行く」
「その脚で?」
「車なら近くまで行ける」
「着いてから誰かに運ばせるの?」
返せなかった。東條は勝った顔も責める顔もせず、端末を取り上げる代わりに床へ落ちかけていた点滴管だけを持ち上げた。
「座って。話はする」
ベッドへ戻る。左腿の脈が、遅れて強くなった。
千景からの一件目は七月十八日だった。
『生きてる。そっちも戻ったら返事して』
昨日の夜に届いたものは、もっと短い。
『戻ったって聞いた。今は寝て』
返信欄へ指を置く。
『戻った。七日休む』
送信すると、東條が小さく息を吐いた。
「七日で足りますか」
「動けるまで休む。ガルもだ」
「それなら、七日を治療に使ってください」
東條は持っていた紙束を机へ置いた。表紙には、東浜市域解放準備とある。
「今あるのは案じゃなくて、調べる項目だけ。入口、副出口、避難線、補給、交代要員、地下施設。空白のほうが多い」
「中に生存者がいる」
「可能性は高い。でも最終位置が分からない。中枢だけを壊せば助かるとも限らない」
紙をめくる。北側運河、高架道路、西部物流道。現在の防衛線が三本。占領域の内側には、巣と補給路が作られ始めている。確認できた副出口の横には、数ではなく疑問符が書かれていた。
俺が封葬墓苑へ入った時、東浜はまだ街だった。
あの入口を選ばなければ、主入口へ間に合ったかもしれない。地下の副出口まで止められたかは分からない。別の場所が破られたかもしれない。相原たち五人が戻らなかったかもしれない。
分からないものを、自分一人で全部救えた話にはできない。
それでも、四十三人は戻らない。
「俺が行けば勝てる、とは言わないんだな」
「言わない。今のまま行けば、入口までに傷を開く」
「治ったあとなら」
「勝つ方法を一緒に作れる」
東條の返事は早かった。ただ、紙束の角を揃える指は一度で止まらず、二度、三度と机の端を叩いた。
資料の最初の一枚を抜く。入口と副出口の位置が、別々の色で描かれている。
「副出口を先に調べる。避難線と交代時間を固定する。生存者の最終位置も一つにまとめる」
「攻略より先に救助が必要な場所も出ます」
「分かってる」
中枢へ最短で向かえばいい迷宮ではない。街の中には、まだ人がいるかもしれない。家も店も道路もある。壊して進めば、戻る場所まで失わせる。
隣の処置室から、爪が床を掻く音がした。
ガルが起きたらしい。
俺は立たず、ベッドの上で紙を広げた。震える指で、未確認と書かれた地下施設へ印をつける。
七日間は短い。
だから、最初の一日を無駄にはできなかった。




