第七十七話 追う牙
鐘はもう鳴らなかった。
砕けた骨が床を埋めているのに、そのどれも起き上がらない。王座の前で残っているのは、胸郭と頭、片脚、屍杖を握る片腕だけになった屍王だった。
それでも、青い光は止まらない。
肋骨の右から左へ移り、頭蓋へ上がったかと思えば、腰の奥へ沈む。天羽々斬を向けるたび、その直前に逃げた。
左腿が熱い。踏み込むたび、巻いた布の内側へ血が広がる感触があった。
屍王が杖を振る。床から突き出した骨槍は一本だけだった。右へ身体をずらし、杖を根元から切る。新しい骨は寄ってこない。
もう増えない。なら、逃げ場を減らせばいい。残った脚を落とし、続けて片腕を斬る。青い光が胸へ戻り、頭蓋を横から割ると、霊核は一瞬だけ骨の外へ飛び出した。
床の骨片が青く光る。
だが、組み上がらなかった。
光は行き場を失い、ひどく不規則に明滅しながら残った胸郭へ戻った。
「ガル」
呼ぶより早く、黒い身体が正面から飛び込んだ。
傷ついた肩を庇いながら、ガルは霊核ではなく胸郭そのものへ牙を掛ける。骨が軋み、青い光が肋骨の右端へ逃げた。
次に移る場所が分かった。
天羽々斬を肋骨の隙間へ差し込む。硬いものへ当たった。刃先から返った感触は骨より重く、石より脆い。
「そこだ」
ガルが噛む力を強める。肩の傷が開き、黒い毛を血が伝った。それでも胸郭を離さない。
刀を押し込んだ。
青い光に細い亀裂が走る。屍王の骨が一度だけ大きく震え、刀を握る手まで痺れた。息を吐ききって、もう一度体重を乗せる。
霊核が砕けた。
頭蓋に残っていた火が消え、胸郭がガルの口の中で崩れた。床へ落ちた骨は、二度と動かなかった。
息を吐く。終わったと思った瞬間、床の下から遅い脈が返ってきた。
瘴気も消えていない。薄くはなったが、防毒面の向こうに古い土と腐った水の臭いが残っている。
屍王のいた場所には、青黒い結晶が落ちていた。封印袋へ入れ、王座の裏へ回る。
三つの鐘のさらに奥。骨で囲まれた黒い球体から、破壊した三本の導管が伸びていた。
屍王の核とは別だ。
刃先を触れさせる。球体の奥から、宮殿全体へ響くような振動が返った。骨の山が一斉に揺れたが、立ち上がるものはない。
天羽々斬を振り下ろした。
一撃目で表面に線が入り、二撃目で中心まで割れた。噴き出した灰を避け、防毒面を手で押さえる。
灰はすぐに床へ落ちた。
新しい霧が出てこない。
遠くで、重い石がずれる音がした。
そこで左脚から力が抜けた。片膝をつき、刀を床へ立てて身体を支える。靴の中まで血が回っていた。
止血布を重ね、回復薬を傷へ流す。ガルの肩帯も外した。洗浄液を掛けると、ガルは一度だけ顔を背けたが、逃げなかった。
「戻るぞ。ただし、すぐには出ない」
白石の前室まで戻り、扉を二回、間を置いて一回叩いた。同じ音が内側から返る。
相原が細く開けた隙間から弩を向け、俺だと分かると下げた。
「五人いるか」
「いる。そっちは」
「終わった」
その言葉を聞いても、相原は喜ばなかった。俺の左腿を見て救急箱を引き寄せ、宮部はガルの肩へ水を掛けた。
全員の水と食料、濾過缶を一か所へ並べる。相原が一袋ずつ指で寄せる音だけが前室に響いた。残量は、帰路を一度間違えれば足りなくなる程度だった。
「ほかに入った人間は」
「受付では私たち五人まで。中でも新しい足跡は見てない」
相原の地図へ、俺が通った部屋と行き止まりを書き足す。白い印を置けなかった枝道は二本あったが、どちらも崩落か骨壁で閉じていた。ガルを入口へ連れていくと、人の新しい匂いは拾わなかった。
勝ったからといって、五人を置いて先に出るわけにはいかない。
三時間休み、宮部の脚を固定し直した。咳のひどい男には最後から二本目の濾過缶を使う。崩れた道を避け、低瘴気の部屋をつないで戻った。
八日目の夜は納骨室で眠った。
九日目の朝、最後の濾過缶へ交換する。
閉じていた石板の下から、細い光が差していた。
押すと、今度は動いた。
隙間から夏の空気が入り、九日ぶん溜め込んだ瘴気の臭いを少しずつ押し返していった。




