第七十三話 低瘴気区画
七月十六日。封葬墓苑へ入って四日目。
石門の向こうで聞こえた咳は、一度止まり、すぐに二度続いた。
俺は天羽々斬の柄で門を二度叩く。
返事はなかった。
門を押すと、隙間から灰が流れ込んだ。中央に、黒く錆びた鎧が一体立っている。兜の中に顔はなく、薄い青の火だけが揺れていた。
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【死霊騎士】
種族格:III
Lv:33
主要特性:霊体化、骨殻再生
装備:葬送長剣、黒墓鎧
弱点候補:胸部霊核
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俺より二つ上。
ガルが門を抜ける。死霊騎士の長剣が持ち上がった。未来視へ右上から斜めに落ちる線が出る。
振り下ろされる前に胸を斬った。
手応えがない。
天羽々斬が鎧ごと青い身体を抜け、直後に長剣だけが実体を持った。刃で受ける。重さに押され、膝が石床へついた。
押し返すと、死霊騎士はまた薄くなる。
攻撃する瞬間だけ、剣、腕、肩、胸の順で硬くなっていた。
小さな火を鎧へ当てる。霧の中で広げず、表面だけに残す。赤い炎が青い輪郭へまとわりつき、実体へ戻る部分へ集まった。
ガルが後ろへ回る。牙は霊体の肩を抜けたが、灰の流れを追って短く吠えた。
右腕。肩。胸。
硬くなる順番が見える。
未来視が示した最初の突きを捨て、一拍待つ。長剣が実体になり、胸まで硬さがつながった瞬間に左から刃を入れた。
霊核へ亀裂が入る。
死霊騎士が長剣を返す。脇腹を刃先が掠めた。足が止まりかけたところへガルが腕ごと体当たりし、軌道を外す。
もう一度、胸が硬くなる。
同じ亀裂へ刃を通した。
霊核が割れ、兜から青い火が噴き出す。鎧が一つずつ床へ落ちた。
門の先には、石造りの家が斜面へ続いている。その中の一軒だけ、二階で白い防衛灯が点滅していた。
三回消え、二回光る。
家の前まで行くと、細い糸が足元を横切っていた。触れずに止まる。
「人間だ」
中で何かが倒れた。
「名前を」
女の声だった。
「大月在真」
「……一人?」
「ガルもいる」
戸の内側で金具が外れた。開いた隙間から短い弩が向けられ、防毒面をつけた女がこちらを見る。目の下が黒い。
「相原。入って。糸、跨いで」
ガルと中へ入る。戸が閉じると、呼吸が少し軽くなった。入口の柱に白い石が二つ埋まり、その間だけ灰が薄い。
部屋には五人いた。
三人は床へ座り、相原は壁に背をつけている。奥には、右足を板で固定した男が寝ていた。
「宮部。意識はある」
呼ばれた男が片手を上げた。
「入った五人で全部か」
「全員いる。まだ」
相原は最後の一言だけ小さく言った。
一人が咳き込む。防毒面の吸気口へ布を重ねていた。
「濾過缶は」
「二日前に詰まった。予備は昨日、宮部へ回した」
大型ザックを下ろし、予備を二つ出す。相原が手を伸ばしかけて止めた。
「そっちの分は」
「減る」
「一つでいい」
「宮部のも黒い」
二つとも相原の前へ置いた。減ったぶんだけザックの奥に隙間ができ、荷物が中で傾いた。
咳をしていた男が交換し、ゆっくり息を吸う。咳はすぐには止まらなかった。
食料は、乾いたビスケット三袋と栄養ゼリー二つ。五人では今日を越えられるかどうかだった。俺の保存食を四袋出す。
相原が床板を外した。下には浅い水槽があり、天井と壁を伝った水が細い溝から溜まっている。
「沸かして、濾過してる。味は悪い」
この家だけ瘴気が薄く、水もある。四日分の補給を減らし、六日までつないでいた。
この家があったから五人は生きていた。だが、壁面水と白い石があっても濾過缶も食料も増えない。このまま待てない理由も、同じ部屋の床へ並んでいた。
「入口へは戻った?」
「二日目に。石板は開かなかった。その時、宮部があれにやられた」
相原が、死霊騎士のいた門の方角へ目を向ける。
「町の下に大きな階段がある。そこまでは見た。下から鐘が鳴ってる」
ガルが家の隅へ鼻を向け、低く唸った。石壁の中を細い魔力が流れ、町の下へ向かっている。
五日目は、白い石の部屋からほとんど動かなかった。外で灰が壁を擦る音を聞きながら、宮部の右足を固定し直した。
森川のような治療技能はない。腫れを冷やし、板が食い込まない位置へ布を足す。咳の残る一人は白石の間から離さず、濾過缶の吸気抵抗を二時間ごとに確かめた。
六日目、相原の手書き地図と俺の白印を床へ並べて重ねた。別々に歩いた線が同じ角で折れ、互いの見ていない空白だけが黒く残る。
黒く塗られた家が三つある。中から人の声をまねるものが出る。戸を開けた二人が同じ方向へ歩き出し、相原が殴って止めた場所だった。
そこを避け、町の底までの道を二度確認する。
「ここに残る選択は」
相原に聞いた。
「ない。濾過缶が先に尽きる」
「宮部は速く歩けない」
「置いていかない」
相原は迷わず言った。
宮部の両側へ支え棒を組む。足を地面へつけず、二人が身体を支え、本人も左足で進める形にした。
「助けに来たんじゃないの」
宮部が試したあとで言った。
「外へはまだ戻れない」
「正直だな」
「中枢を止めれば開く」
「それ、確認した?」
「これからする」
宮部は防毒面の中で笑ったようだった。
「じゃあ、行くしかないか」
六日目の夜、六人と一頭の装備を入口へ並べた。
救助しただけでは、誰も地上へ帰れない。
水槽には水が残っている。白い石も、家の中の瘴気を薄くしている。
それでも時計は、帰還予定の七月二十一日へ進み続けていた。




