第七十二話 四割【別視点・東條彩芽】
七月二十一日の地図では、赤い区域が一つにつながっていた。
港湾部、旧商店街、市庁舎周辺。
三日前までは別々の危険区だった。いまは間の道路と地下を魔物が押さえ、市域の四割を占めている。
東條は印刷された地図を机へ置いた。
『北側運河まで下げます』
現地指揮官の声が回線から返る。
「市庁舎の捜索班は」
『二班残っています。一班は北別館。もう一班は地下駐車場から連絡がありません』
「北別館の班を回収してください。地下駐車場へは入らないで」
『まだ生存者がいる可能性があります』
「あります」
東條は否定しなかった。
「その確認のために、北側運河の避難線を薄くはできません」
返事が止まる。
地下へ入れば、誰かを見つけられるかもしれない。入った班まで戻らないかもしれない。どちらも推測のままだった。
『了解』
回線が切れた。
壁面画面では、港の倉庫が黒い石壁で囲まれている。主入口から出た群れは、もう市外へ走り続けてはいない。道路へ杭を打ち、建物の間へ柵を作り、運び込んだ物資を積んでいる。
通り過ぎているのではなく、残る準備をしていた。
「人的被害、更新です」
担当職員が紙を差し出す。
死亡確認四十三人。行方不明三百十二人。負傷者数は集計中。紙はまだ複合機の熱を残していたが、欄外には訂正の赤字がもう二つ増えている。
避難所へ着いた人と、市外の親族宅へ直接逃げた人の照合も終わっていない。数字は減る可能性がある。増える可能性もあった。
「避難完了率は」
「確定できません。携帯位置情報では九割を超えますが、地下と、電源が切れた端末は拾えていません」
「完了とは書かないでください」
発表文の『港湾部および旧商店街の避難は概ね完了』を消す。代わりに、未確認者の照合作業を継続中と入れた。
旧商店街の地下には、まだ確認の入っていない区画が残る。
そこに誰が何人残っているのか、今の紙からは分からない。
「神崎隊、全員生存。負傷六名、二名が戦線離脱」
「鳴海さんは」
「右肩を再処置しました。標杭二本喪失。本人は地図更新を続けています」
「六時間止めてください」
「本人が拒否しています」
東條は一度、目を閉じた。
「命令ではなく医療判断です。更新権限を補助者へ渡して、鳴海さんには現地報告の確認だけ残してください」
次の報告には、瀬尾、小宮、森川の三人生存、避難車両一台喪失とある。
正式な攻略参加なし。
平井岳の欄は最初からなかった。
後退線の承認書が置かれる。
北側運河、高架道路、西部物流道を結ぶ線。その南へ、港湾部、旧商店街、市庁舎が入る。
民間人の帰宅は禁止。捜索は外縁からの確認だけ。署名すれば、取り戻す作戦ではなく、失った区域をそれ以上広げない作戦へ変わる。
東條はペンを持った。
地下駐車場の班から、連絡は戻っていない。
それでも署名した。ペン先が紙を離れたあとも、地下駐車場の班を示す点だけは画面で点滅し続けていた。
「公表上の名称はどうしますか」
「東浜市一部占領」
「『一時的な管理不能』という案も来ています」
「占領です」
画面の中で、黒い壁が市庁舎前の道路を塞いでいる。人間側が使えないだけではない。向こうが使い始めていた。
「市域四割。東浜陥落として記録してください」
部屋の誰も言い直さなかった。
東條は大月在真への報告を開いた。
主入口決壊。副出口複数。市域四割占領。死亡四十三。行方不明三百十二。
その下に、神崎隊、鳴海千景、瀬尾隊三人の生存と負傷を加える。
送信すると、接続待機の印がついた。
日光側の帰還予定は、今日中だった。
戻った時に読む文章を、それ以上短くはできなかった。
東條は次の紙を取った。避難住宅の空きと、港を失ったあとの物資経路が書かれている。
陥落と記録したあとも、人を住まわせる場所と、明日運ぶ水を決めなければならなかった。




