第七十一話 店の地下【別視点・江崎美和】
江崎美和は、避難警報が鳴ってからも店のシャッターを半分だけ開けていた。
営業するためではない。江崎装備店は、地震のあとから近所の集合場所になっていた。
従業員が二人。隣の文具店から三人。裏の集合住宅から六人。江崎を入れて十二人だった。
来るはずの避難バスは、経路変更で来なかった。
「もう一人、来るって言ってなかった?」
従業員が聞いた。
「息子さんが迎えに来て、先に出た」
江崎は連絡履歴を見せる。午前九時五十八分の文面には既読がついていた。
それより新しい連絡は届かない。
駅北側へ歩けという避難案内は来ている。その駅の方角から、黒い煙が上がっていた。
店の外で金属を叩く音がする。
工事ではない。同じ間隔で、少しずつ近づいてくる。
「地下へ入る」
「駅に行かなくていいの?」
「いま表へ出るほうが危ない」
江崎はシャッターを下ろした。最後まで閉まる直前、道路の端へ黒い杭が伸びるのが見えた。
レジの電源を落とす。冷蔵ケースは残した。
中には、冷却が必要な止血剤が十六本ある。一本七千八百円。停電すれば使えなくなる。
持っていけない。
「一人一つ、薬か水。商品棚には戻らないで」
文具店の店員が値札を見て手を止めた。
「払うのはあと。持って」
店の奥にある床扉を開ける。
去年までは在庫庫だった。地震のあと、自治体の補助で壁と扉を補強し、災害備蓄庫を兼ねる短期退避区画へ変えた。
一人ずつ階段を下ろす。十一人が入ったところで、江崎が最後に降りた。
十二人。
鋼の扉を内側から閉め、鍵を二度回す。店の鍵束は、エプロンの右ポケットへ入れたままだった。
地下は六畳ほどの部屋が二つと、細い通路でできている。十二人が入ると、湿った服と埃の匂いで、換気の風がひどく弱く感じられた。
飲料水槽、携帯浄水器、非常食、簡易便袋、消毒剤、常備薬、手回し充電器、魔石式の非常電源。
江崎は順に見て、紙へ数字を書いた。
「食事は一日二回」
「もう減らすの?」
「十二人なら二十八日。三回にしたら十九日もたない」
反対は出なかった。
「水は飲む分が先。身体を拭くのは一日一回、布一枚。洗濯はまだしない」
左の換気管へ手を当てる。弱い風がある。右も動いていた。二本とも外へつながっているが、人が通れる太さではない。
焦げたゴムと、錆びた鉄のような臭いが少し入ってくる。
携帯電話は圏外。短距離無線も雑音だけだった。手回し充電器をつないでも、送る相手がいない。
「怪我を見る」
従業員の一人が救急箱を開いた。
階段で足を捻った人が一人。転んで膝を打った人が二人。朝から熱のある子供が一人。
出血はない。重傷者もいない。
江崎は体温と薬の時刻を、物資を書いた紙の裏へ記録した。
上でシャッターが鳴った。
一度。少し間を置いて、二度。
誰かが叩いているようにも聞こえる。
「開ける?」
小さい声がした。
江崎はすぐに答えず、扉へ耳をつけた。足音は一つではない。爪のようなものが、店の床を擦っている。
「開けない」
言った直後、棚が倒れる音がした。
冷蔵ケースのガラスも割れる。
止血剤は十六本。一本七千八百円。
頭の中で勝手に掛け算が始まる。江崎は右ポケットの鍵を握った。鍵があっても、上へ戻れるとは限らない。
「非常電源は照明と換気だけ。冷房には使わない」
暑いという顔がいくつか上がった。
「夜は二人ずつ起きる。換気と熱と、上の音を記録する」
「いつまで?」
答えられなかった。熱のある子供が母親の膝で小さく咳をし、そのたびに何人かが天井を見た。
江崎は紙の一番上へ、七月十八日、十二人と書いた。
その下に、明日の食事を出す時刻を書く。
午前六時半。
店を開ける時間より、三時間早かった。




