第七十話 閉じる道【別視点・鳴海千景】
千景の端末には、同じ道路について三つの報告が届いていた。
午前十時十二分には通行可能。十時十九分には黒い壁が出た。十時二十六分には、歩行者だけなら通れる。
どれも嘘ではない。
道のほうが変わっていた。
「二十六分の人につないで」
隣の職員が通話を開く。
『いまも通れます。幅は二メートルくらい。北へ行けば駅です』
「いま、どこ?」
『通りの北端です』
「南から全部歩いた?」
『二十分前に』
千景は表示を確認済みから要再確認へ戻した。二十分あれば、黒い壁は道路を一本塞ぐ。
「私が見る。まだ人は入れないで」
旧商店街の南から走った。
標杭は八本しかない。一つ目を消防署の裏門、二つ目を細い通りの入口、三つ目を駐車場の角へ置く。杭は道を作らない。いま残っている道が崩れにくくなり、互いの位置が分かるだけだ。
四本目を打った時、左の建物が低く鳴った。
外壁ではない。地面の下から響いている。
「ここ、一度に走らせないで。十人ずつ」
同行した救助員が無線へ伝える。
五本目、六本目と進む。歩道へ黒い鉄板のようなものが伸び、道幅は一・六メートルまで狭くなっていた。
車椅子一台なら通る。対向はできない。
七本目を駅前通りの手前へ置き、八本目を臨時改札の柵へ固定した。
全長七百四十メートル。
歩いて戻ると、四本目の周囲に細い亀裂が増えていた。危険度を黄色から赤へ変える。
通行可能。十人単位。立ち止まり禁止。車椅子優先。対向不可。
更新時刻を入れ、確認者を自分にした。
「通して」
最初の百二十八人には、保育園児二十四人と職員六人が含まれていた。
十人ずつでは遅い。それでも詰まれば、狭い場所で全員止まる。千景は四本目の横へ立った。
「前と間を空けて。走らない。止まったら後ろも止まる!」
黒い壁を見て子供が泣く。職員が抱き上げようとした。
「手はつないだまま。抱くなら通りを出てから」
言い方が強くなったが、直している時間はなかった。足の数を減らせない。
四本目の杭が少し傾く。千景は体重をかけて打ち直した。柄を押すたび、治りきっていない右肩が熱を持つ。地面の揺れは弱くなったが、止まりはしない。
最後尾が臨時改札を抜けたのは十一時三分だった。
百二十八人。途中で消えた人数はいない。
息を吐く前に、端末が二度鳴った。
旧商店街東区の集会所に七十四人。港寄りの診療所に患者と職員四十一人、寝台が六台。
どちらも、この道を使いたい。
東区からは南側へ入る。診療所からは北側へ入る。幅一・六メートルで、寝台一台が道を塞ぐ。
「順番にできない?」
職員が聞いた。
「杭がそこまで持たない」
四本目の表示へ、赤い亀裂が一本増えた。
長くても三十分。
診療所の寝台は階段を使えない。東区の七十四人は歩ける。ただし、東区から別の道が残っている保証はなかった。
共同地図へ、高架歩道の映像が上がる。撮影時刻は十一時九分。端に映った駅時計とも合っている。
「撮った人、いまどこ?」
『高架の北端です』
「途中、全部通れた?」
『段差が一つ。黒い壁は下の道路だけでした』
別の人から南端の映像が届き、救助員一人が中央まで逆向きに入った。三つの位置がつながる。
千景は高架歩道を黄色で登録した。最終確認時刻、階段あり、走行不可、標杭なし。
「東区は高架へ。診療所は杭の道を南へ出す」
「高架は魔物が近いです」
「だから東区から先に出して。防衛班は最後尾」
「地区が空になります」
千景は地図の東区を見た。
七十四人だけが暮らしていた場所ではない。すでに出た人の家も、店も、戻る予定もある。
「人が出たら閉じる」
赤い線を引いた。
診療所の四十一人が、北から標杭線へ入る。寝台が先だった。
一台目、二台目。車輪の音が道幅いっぱいに響く。
三台目の右輪が亀裂へ沈み、金属が折れた。寝台が傾き、患者の肩がずれる。
千景は鋼糸を枠へ掛けた。寝台ごと引けば患者へ衝撃が行く。折れた側だけを持ち上げる。
「前、ゆっくり。十センチずつ」
救助員が押す。右肩に力が集まり、服の内側が熱くなった。
亀裂の先へ寝台を出し、予備の搬送板へ移す。
四台目、五台目、六台目。
最後の職員が通った時、四本目の杭が折れた。方向感覚の一つが千景の中から消える。
「全員、南へ出た?」
『四十一人、搬送車へ収容』
返事と同時に路面が落ちた。五本目の杭が亀裂ごと沈む。標杭線は途中で切れた。
もう誰も通せない。
東区の報告を待つあいだ、千景は沈んだ五本目の表示を何度も開いた。通過人数は三十、五十二、七十一と増えた。最後の三人は防衛班と一緒に高架へ入った。
『七十四。北端を通過』
「南端を閉じて」
『まだ中にいる人は』
可能性はある。名簿に載らない人、警報を聞かなかった人、家から出なかった人。
いないとは言えない。返事をしなかった部屋の数までは、どの報告にも残っていなかった。
東からは魔物が来ている。開けたままなら、高架を通って駅側へ入る。
「閉じて。七十四人の後ろで」
救助車両とコンクリート柵が南端を塞ぐ映像が届いた。
千景は共同地図の東区を灰色へ変えた。通行不可。現地確認終了。占領危険区。
店の名前も細い路地も、その色の下へ残っている。
「六本、回収しました」
救助員が標杭をまとめて持ってきた。二本足りない。埋まった場所へ戻ることはできなかった。
千景は六本を受け取った。
東区の方角から黒い煙が上がっている。
道を閉じても、向こう側にいるかもしれない人までは消えなかった。




