第六十九話 三人の救助【別視点・瀬尾航平】
避難補助の腕章を受け取る時、瀬尾が書いた名前は三人分だった。三人目を書き終えても、油性ペンの先だけがしばらく紙の上に残った。
瀬尾航平。小宮佐知。森川藍。
用紙には最初から四つ目の欄がない。
「攻略参加ではありません」
受付の職員が確認した。
「第二防衛線より北で、住民誘導と応急処置だけです。戦闘装備の要請は出ていません」
「分かってます」
瀬尾は答えた。小宮と森川も頷く。
三人で迷宮へ戻る話は、まだしていない。今日は誰かを倒しに来たわけでもなかった。
東浜市立第二中学校には、四十七人が残っていた。
避難用の大型バスは一台。車椅子は三台あり、歩けるが介助の必要な人が八人いる。森川は名簿より先に呼吸と歩ける距離を確認した。
「この五人を先に乗せます。車椅子二台は中央。発熱してる子は通路側へ」
「窓側のほうが楽じゃないですか」
母親が聞く。
「窓が割れた時に危ないので。いまはこっちで」
森川はそれ以上説明せず、膝掛けを丸めて子供の背中へ入れた。
小宮は校門から駅までの道を歩き、予定より早く戻ってきた。
「高架下、音が違う」
「魔物か」
「まだ見てない。地面の下。止まって、また動いた」
前なら、瀬尾は予定時刻まで待ったかもしれない。見ていない危険で隊形を変えず、全員の返事を確かめてから進んだ。
平井が死んだ日も、手順は途中まで正しかった。
「バスを出す。乗ってない人は北門へ移して」
「予定より五分早いです」
「五分は駅で待たせる」
運転手が扉を閉めた直後、高架下から黒い煙が上がった。
道路が中央から沈み、バス停の屋根が傾く。舗装を割って鉄の杭が一本伸び、その周りからゴブリンの手が出た。
バスはもう校門を抜けている。
残ったのは徒歩の十六人だった。
「北の道へ!」
小宮が先に走る。角を一つ曲がり、安全を確認して手を上げた。森川は車椅子の後ろへ入り、近くの避難者へ持ち手を渡す。
「押せる人、ここ。止まらないで」
瀬尾は自分たちの車へ乗った。
助手席には応急用品の箱がある。平井がいつも座っていた場所だった。箱を後部へ移し、車を高架下の手前へ横向きに入れる。
サイドブレーキを引き、鍵をつけたまま降りた。
「瀬尾!」
「ここで塞ぐ。先へ行け!」
盾は持ってきている。平井のものではなく、瀬尾自身が使っていた軽い盾だ。
最初のゴブリンが穴から出て、車体へぶつかった。窓ガラスが割れる。次の一体が屋根へ上がる。
瀬尾は車と避難者の間へ立った。
倒しに前へ出ない。盾を車へつけ、乗り越えてくる足だけを短槍で払う。落ちた一体の胸へ刃を入れ、次が来る前に元の位置へ戻る。
小宮が引き返してきた。
「最後、六人!」
森川が車椅子の片側を支え、押している避難者と歩調を合わせていた。その横で、年配の男が何度も後ろを見た。
「妻が先に駅へ行ってるはずなんだ」
「駅で確認します」
「電話がつながらない」
「ここでは探せません」
瀬尾は男の腕を取った。
強く引けば転ぶ。弱ければ戻る。
「一緒に駅まで行きます。名前は着いてから聞かせてください」
男が一歩だけ前へ出る。瀬尾はその速度に合わせた。
背後で車の屋根が潰れた。ゴブリンが二体、横から抜ける。小宮が白煙石を投げ、狭い路地を白く塞いだ。
「走らないで! 前だけ見て!」
敵の姿が見えなくなったほうが、避難者は止まらなかった。
駅前の臨時改札まで六百メートル。二十三分かかった。
四十七人をもう一度数える。バスで来た三十一人と、歩いてきた十六人。全員いた。
年配の男の妻も、一本前の避難列に名前があった。会えたところまでは見届けられない。次の学校に十七人残っていると連絡が入った。
「車、置いてきましたね」
森川が言う。
「そうなるな」
瀬尾は盾を下ろした。腕は震えているが、壊れてはいない。
「次は徒歩で行く。小宮は先の道、森川はここで補充。俺は人数を確認する」
二人の返事を待つ。
以前と同じ確認だった。ただし、三人目の返事を待つ間だけが残り、誰も平井の場所へ入れなかった。
小宮は高架下の方角を見た。遠くの道路から、黒い鉄の柱がもう一本伸びている。
「入口、門じゃない」
「見えてない場所も同じだと思う」
瀬尾は次の名簿を受け取った。
三人で倒しに戻るのではなく、三人で人を通すために歩き出した。




