第七話 黒い狼
石段を下りる音が、前より大きく聞こえた。新しく買ったヘッドライトは、懐中電灯より広い範囲を照らしている。両手も空いていた。それでも、右目の奥は一段ごとに痛んだ。
透明な保護眼鏡の下で、視界の端が少しだけ遅れる。段差を見る時は、一度左目を閉じ、両目で重なりを確かめてから足を下ろした。前より時間がかかる。そのことへ苛立つたび、鎧の裏で点いた青白い光を思い出した。
供給室まで、何も出なかった。黒い台座は光を失っている。床には、置いてきた懐中電灯が落ちていた。胴の中央が潰れ、電池が一本転がっている。拾わなかった。
奥の石扉は開いたままだ。扉の向こうは広い石室で、その左手に、前は見えなかった細い横道が口を開けている。石扉と横道の間の床には、黒い傷が一本残っていた。俺を狙った大剣の跡だ。天羽々斬を抜く。
両手で持てるだけで、前よりはましだった。剣の振り方を覚えたわけではない。三日の間に動画を見て、足の置き方と、刃を寝かせない握りだけ試した。畳の上で振ることはできず、鞘に入れたまま数十回動かしただけだ。
あの鎧を倒せるとは思っていない。開いた扉の向こうに別の道があるのか。あれが入口へ近づいていないか。確かめたら戻るつもりだった。石扉を越える。金属が擦れた。
広い石床の奥に、スケルトンナイトが立っていた。肩鎧につけた白い筋が残っている。あれだけだった。俺が三日休んでいる間に、相手は何も失っていない。
眼窩の光がこちらを向く。今度は、脚が動いた。石扉の手前まで下がる。大剣を横へ構えたのが見えた。
突進。
表示にあった言葉と、前に受けた動きが重なる。正面から受けない。左へ踏み出そうとした時、横道の暗がりで別の光が動いた。
低い。
二つある。スケルトンナイトが踏み込む。黒い影が、横から飛び出した。大剣を持つ腕へ牙が食い込む。
骨と鎧の巨体が、半歩だけ横へずれた。剣先が俺の胸を外れ、石扉へぶつかる。黒い影は、そのまま鎧の腕へぶら下がらなかった。噛みついた反動を使って床へ降り、次の斬撃が来る前に距離を取る。
狼だった。大型犬より一回り大きい。黒い毛は長く、首から背中へ流れている。左の肩に古い傷があり、その上へ新しい血が滲んでいた。鑑定へ意識を向ける。
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【黒狼】
個体名:なし
種族格:II
Lv:17
目立つ傾向:高速/嗅覚/牙
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ナイトとほとんど同じLvだった。それでも、正面から押し返せてはいない。黒狼は大剣の軌道へ入らず、腕や膝へ短く噛みついて離れる。止めているのは一瞬だけだ。鎧の防御も、骨の重さも崩せていない。
スケルトンナイトの剣が床を薙ぐ。黒狼が跳ぶ。尾の先が刃へ触れ、黒い毛が散った。喉の低い音が石室へ響く。
怒っているのか、痛がったのかは分からない。ただ、逃げてはいなかった。
俺だけなら、石扉へ戻れる位置にいた。黒狼が腕へ噛みついている間に供給室へ入ればいい。扉を閉じる仕組みは分からなくても、細い通路までは逃げられる。
足が半歩、後ろへ動いた。
その時、黒狼の左前脚が床で滑った。肩の傷から落ちた血を踏んでいる。ナイトの大剣が返り、黒狼は低く伏せたが、今度は距離を取り切れない。
四日前、俺は同じ場所で一人だった。いま出口までの数歩を作ったのは、俺ではない。
石扉へ向けていた身体を戻した。逃げ道があることと、ここであれを置いていくことは別だった。
「こっちだ」
言葉が通じるとは思わなかった。開いた石扉を背に、壁際へ身体を寄せる。黒狼の耳が、ほんの少しこちらへ向いた。ナイトが俺を見る。
大剣が上がった。前と同じだ。怖さより先に、胸を打たれた感触が戻ってきた。右目が熱を持つ。踏み込まれる前に、床の端へ天羽々斬を擦らせた。
甲高い音が鳴る。眼窩の光がこちらへ固定された。
走る。
ナイトが追う。横から黒狼が飛びつき、鎧の膝裏へ体重を掛けた。巨体が傾く。倒れはしない。
けれど、その一歩で、奥の壁に開いた低い横穴までの道が空いた。黒狼が先に横穴へ飛び込む。俺も続いた。供給室とは反対側へ延びる細い道だ。さっきまでは、ナイトの陰になって見えなかった。
人一人が屈んで通れる高さしかない。迷う時間はなかった。あとを追う。背後で、大剣が入口の上端を削った。
ナイトの身体では、すぐには入れない。低い穴を四つん這いで進む。前を行く黒狼の呼吸が荒い。左肩から落ちた血が、石へ点々と残っている。十メートルほど先で天井が高くなった。
黒狼が立ち止まる。俺ではなく、その向こうを見ていた。白い指が、石の陰から出る。骨だけの腕が床を掴み、人の形がゆっくり起き上がった。
背後では、低い穴へ鎧を押し込もうとする音が続いていた。黒狼が俺の前へ出る。肩の傷から、また血が落ちた。




