第六十七話 東浜警報【別視点・東條彩芽】
警報が鳴ったのは、東條が三本目の栄養飲料を開ける前だった。
七月十五日、午前四時十七分。対策室の壁面地図で、東浜市の港湾部が黄色から赤へ変わった。
「〈黒鉄門〉外郭値、前回の二・八倍です」
担当職員の声が少し裏返っていた。東條は缶を机へ戻す。
「故障の可能性は」
「三系統で一致。現地の簡易計も上がっています」
「主入口を映して」
海沿いの倉庫街が画面へ出た。
黒い門は、昨日まで道路二車線分の幅だった。いまは左右の倉庫壁へ食い込み、内側から押されるたび、鉄板のような表面が膨らんでいる。
危険域へ入るのは五日後。避難は余裕を見て三日後から。
その予定表が机の上に残っていた。
「港湾部の避難を開始。警戒区域を第三まで上げてください」
「自治体の決裁がまだです」
「緊急条項で先に出します。私の名で先に回して」
職員が一度だけ東條を見たあと、端末へ向き直る。
別の警告が地図の中央へ出た。旧商店街の地下。続けて、市庁舎から南へ二キロ離れた雨水幹線の近くにも、同じ波形が表示される。
「これは何ですか」
「黒鉄門と同系統の反応です。ただ、地表カメラには入口がありません」
「地下図と重ねて」
古い排水路と、廃止された貨物用通路が画面へ重なった。どちらも主入口から離れている。
現地の巡回員が旧商店街側へ小型機を入れた。映像は地下駐車場の壁を映し、角を曲がったところで大きく揺れる。
コンクリートの継ぎ目に、黒い隙間が開いていた。
奥から、槍の穂先が出る。
映像が途切れた。
「副出口を一か所確認。雨水幹線側は未確認です」
主入口だけを前提にした防衛案は使えない。
東條は大月在真の連絡先を開いた。発信を押す前から、表示は分かっていた。
接続不能。
二日前、本人が封葬墓苑へ入った時から変わっていない。中枢を止めるまで外から開けられず、七月二十一日まで帰還予定はない。
それでも、指が一度だけ発信へ触れた。画面に接続不能と出るまでの短い間だけ、呼び出し音を待っている自分に気づいた。
呼び出し音は鳴らなかった。
東浜防衛案には、大月在真の担当欄がある。主入口から出る大型個体の処理。侵入可能なら中枢攻略へ移行。連絡から四時間以内に現地入り。
東條はその欄へ横線を引いた。
「神崎さんへ主入口防衛を打診。副出口確認班を二つ。鳴海さんには、港湾部から旧商店街までの避難導線更新を頼んでください」
「瀬尾隊はどうしますか」
返答の前に、平井岳の死亡報告書が浮かんだ。三人はまだ攻略へ戻っていない。
「後方の避難補助だけです。戦闘参加を前提に呼ばないでください」
使える名前を埋めれば、計画になるわけではない。
主入口の映像で、門の中央へ縦の亀裂が走った。倉庫街の監視員が走り出す。
『現地班、退避!』
通信の向こうで誰かが叫ぶ。
黒い門が開いた。
最初に出たのは、黒い鎧をつけたゴブリンだった。一体、三体と続き、後ろから押されて数えられなくなる。固定銃座が射撃を始め、前列が倒れた。その身体を踏んで、次が出る。
さらに奥に、オークの大きな影が見えた。
「主入口外郭、決壊」
まだ市街へは入っていない。防衛線もある。
だが、用意していた三日はなくなった。
上席からの回線が点灯する。東條は先に自治体の回線を取った。
「東浜市対策本部へ。五日後という推定を撤回します。港湾部と旧商店街の避難を始めてください。学校は閉鎖、鉄道は避難輸送へ切り替えます」
『全域避難ですか』
「まだです。雨水幹線側の確認が取れていません」
『大月さんは来ますか』
対策室の手が、少しだけ止まった。
「来ません。いまいる人員で線を作ります。到着を待って避難を遅らせないでください」
回線を切る。
東條はようやく上席からの着信を取り、机の古い予定表を裏返した。栄養飲料の缶が倒れ、甘い匂いのする液が紙へ少しこぼれる。
拭かなかった。
副出口の一つは見つかった。もう一つはまだ画面の下にある。
情報がそろうまで待てば、その場所から先に開くかもしれない。
東條は新しい時刻表を開き、確認できていない区域にも避難班を置いた。




