第六十五話 一日目
石段の先は、天井の低い納骨室だった。
壁際に骨壺が並び、その半分は割れている。床を覆う灰色の霧は膝より下へ溜まっていた。歩くたびに足首の周りだけ薄くなるが、すぐ元へ戻る。
防毒面の内側で息を吸う。空気は通っているのに、喉の奥へ粉が張りつく。吐いた息で頬のあたりだけが湿り、露出した手首は冷たい水へ浸けたように痺れていた。
ガルは鼻を覆われているせいで、いつものように床へ顔を近づけられない。数歩ごとに立ち止まり、耳の向きで先を探っている。
部屋の中央に、人の形が三つ立っていた。
探索用の服ではない。土と灰に汚れた古い布をまとい、顔の皮膚は崩れて歯が見えている。墓の外から来た五人とは違う。
一体が首を傾け、こちらへ歩き出した。
遅い。
天羽々斬を抜き、間合いへ入ったところで首を落とす。
頭が床へ転がった。身体は止まらず、伸ばした両腕が胸へ向かってくる。肩を斬る。片腕が落ちても、残った手が上着を掴んだ。
蹴って離し、胸骨の隙間を見た。
内側に、小さな黒い光がある。
刃を横から差し込み、胸骨ごと割る。核が床へ落ちた。踏み砕いた瞬間、首のない身体が崩れた。
右では、ガルが二体目の胸へ噛みついていた。喉を狙わず、前脚で身体を倒して胸骨を割る。核を引き出すと、動きが止まった。
三体目の腕を切る。落ちた腕の指が、床を這って靴へ絡んだ。
頭や手足ではなく、核だけが身体を動かしている。
胸へ刃を入れる前に、腐った爪が脛当てを引っかいた。革の表面に四本の跡が残る。核を砕くと、指の力が抜けた。
強くはない。
ただ、一度触れられた時に何が付くのか分からない。火力で押し切るより、核までの一手を外さないほうが必要だった。
倒れた三体へ〈未来視鑑定III〉を向ける。表示に出た共通項は、胸骨内の霊核と、核を残したままの物理欠損を停止条件にしないことだった。
納骨室の奥には二つの石扉がある。
ガルが左へ顔を向け、すぐ逸らした。覆い越しでも匂いが強すぎるらしい。右の扉を押す。
その先は、屋外に似た広さの洞窟だった。
空はない。高い天井から白い灰が降り、墓石と翼のある石像が道の両側へ並んでいる。頭灯の光は十メートルほど先でぼやけた。
一歩出たところで、ガルが腿へ身体を当てた。
止まる。
右上で石が割れた。
墓守の像だと思っていたものが翼を開き、壁を蹴った。爪が大型ザックの肩紐へ掛かる。身体ごと後ろへ引かれる前に、腰の留め具を外した。
ザックだけが持ち上がる。
ガーゴイルが天井へ戻ろうとする。左肩を庇って跳ばず、風を細く翼へ当てた。姿勢が傾き、ザックの重さに負けて落ちてくる。
首へ刀を通す。
石の頭が転がった。胴体は止まらない。尾が未来視の線へ出た瞬間にしゃがむ。頭上を通った尾が墓石を砕いた。
首にも胸にも光はない。
腹の下側、石の継ぎ目だけが赤く明滅している。
刃を下から突き上げた。硬い外殻を抜けたあと、手応えが急に軽くなる。核が割れ、翼が床へ落ちた。
左側の列で、もう一体の像が目を開ける。
掌へ火を集めた。
霧が揺れ、火が予想より大きく膨らむ。防毒面の外側を熱が舐め、吸い込める空気が一瞬だけ薄くなった。
火を消す。
息を吸っても、足りない。魔力を止めたあとまで胸の奥が急いで動いている。
二体目が飛び込んできた。正面から爪を受けず、風で軌道だけをずらす。翼の付け根を斬って落とし、腹へ二撃目を入れた。
核が砕ける。
呼吸が戻るまで、その場を動かなかった。火そのものが通じないわけではない。霧の中では燃え方が変わり、こちらの呼吸と濾過缶を先に削る。
大型ザックを拾う。爪が掛かった肩紐の表面が裂けていた。中の水袋に漏れはない。補助索を巻き、縫い目へ固定する。
最初の区画だけで、補修を一つ使った。
正午までに、同じ胸骨核を持つ個体を十一体処理した。ガーゴイルは三体。火は使わず、風と斬撃だけに絞った。
午後三時十二分、防毒面の吸気が明らかに重くなった。濾過缶の外側は灰色に変わっている。予定より早い。
墓石の陰へ防水布を張り、ガルと背中を合わせて交換する。外した濾過缶は密封袋へ入れた。ガルの覆いも内側を拭き、鞍袋の留め具を締め直す。
水を飲むために面を浮かせた数秒だけ、苦い臭いが鼻と喉へ刺さった。咳を一度すると、胸の奥が冷えたまま残る。
夕方、白い石だけで囲まれた小部屋を見つけた。中には霧がほとんど入っていない。入口へ糸と小さな鈴を張り、交代で休むことにした。
時計は午後六時四十八分を示している。
外と同じ速さで進んでいた。
保存食を一つ開けた。口へ入れても塩味より防毒面のゴム臭が勝ち、飲み込むたびに冷えた喉が引っかかる。ガルには乾燥肉と水を渡した。いつもより食べるのが遅く、途中で何度も入口へ耳を向けた。
今日使った水、濾過缶、補助索を記録する。九日分のうち、最初の一日が消えた。
入口は開いていない。五人の跡も、まだ見つかっていなかった。




