第六十四話 封葬墓苑
七月十三日、午前三時二十分に家を出た。
大型ザックを背負うと、肩の傷ではなく腰へ重さが落ちた。左腕の痺れはない。ガルは左右の鞍袋をつけたまま玄関を抜け、一度だけ身体を振った。
冷蔵庫の紙を確認してから、鍵を掛ける。
侵入、十三日午前八時。帰還、二十一日中。
東條が手配した車両は、町を出るまで窓を暗くしていた。高速道路へ入るころに空が白み始める。途中で防毒面の濾過缶と水袋の留め具を確かめた。ガルは足元へ伏せていたが、山道へ入ると頭を上げた。
午前六時半、封鎖区の手前で車を降りた。
そこから先は杉林の中を歩く。昨夜の雨が土へ残り、靴底へ泥が厚くついた。九日分の荷物は平らな道なら持てるが、斜面を上るたびにザックが背中から遅れてついてくる。
ガルは先へ出すぎず、何度かこちらを振り返った。右の鞍袋も左も、枝には触れていない。
七時四十分、低い石垣が見えた。
寺の跡というより、墓石だけを斜面へ置き忘れたように見えた。古い石が杉の間へ何百本も並び、中央の一角だけ地面ごと沈んでいる。そこから地下へ下りる石段が、濡れた口を開けていた。
入口脇の防水箱に、先行した五人の残置品が収められている。空の燃料缶、予備ロープ、使わなかった発煙筒。それから、帰還予定を書いた札。
七月十三日、午前七時。
帰還予定は、もう過ぎていた。
札の下には五人分の名前がある。ここに荷物を置いた時、三日後には自分たちで回収するつもりだったはずだ。
東條が石段の手前で端末を開いた。
「時刻と装備だけ確認します」
大型ザック、ガルの鞍袋、防毒面、予備濾過缶。読み上げず、画面の項目へ一つずつ印をつけていく。
「七時五十六分。帰還予定は二十一日中です」
「分かってます」
「中で何か分かっても、外へ知らせる手段はありません」
「中で判断します」
防毒面をつける。息を吸うと、濾過缶を通る乾いた音が耳の横で鳴った。
ガルの鼻と口にも専用の覆いをつけた。口元は顎の動きに合わせて開く。牙を使う間まで瘴気を防げるものではない。前脚で外そうとしたので、肩帯の付け根を押さえる。
「中では外すな」
ガルは低く唸ったが、二度目は触らなかった。
午前八時。
「行ってきます」
「二十一日まで、入口を維持します」
東條の返事を背に、石段を下りた。
朝の光は十二段目で細くなった。頭灯をつける。壁は黒ずんだ積み石で、ところどころに人の名前らしい文字が彫られていた。読める形には残っていない。
三十段ほど下りたところで、背後から石が擦れる音がした。
振り返る。
石段の上から、厚い石板が落ちてくる。走って戻れば、閉じる途中へ身体を挟む距離だった。
止まったまま見た。朝の光が細い線になり、消える。
石板へ手をつく。押しても動かない。
閉じると聞いていたし、その条件を承知して入った。それでも、朝の光が消えると呼吸が一度だけ浅くなった。吐いた息が防毒面の内側を曇らせ、目の前の石板まで白くぼやける。手袋で拭ってから端末を開いた。
――――――――――
外部ネットワークとの接続が失われました。
実績記録と順位同期を停止します。
国内サーバー順位:5位(接続断絶中)
全サーバー総合順位:196位前後(接続断絶中)
――――――――――
千景へ送る画面を開いても、送信欄は灰色のままだった。侵入したという一文すら、もう外へは出ない。
端末を閉じる。
ガルは石板を見ず、階段の下へ鼻を向けていた。灰色の霧が足首の高さまで溜まり、下へ行くほど濃くなっている。
一段下りると、防毒面越しに舌の奥へ苦い味がついた。さらに下りるほど、霧は靴の周りへまとわりつき、歩いても左右へ逃げきらない。
目の周りが熱くなり、露出した手首だけが冷える。ガルの耳が伏せられた。
入口の外では、帰還予定の時刻が動き始めている。
俺は天羽々斬の柄へ手を置き、霧の中へ下りた。




