第五十九話 瓦礫の下
立体駐車場は、遠くから見た時より傾いていた。
一階の柱が二本折れ、二階の床が斜めに落ちている。車が三台、滑ったまま重なり、奥ではまだ警報音が鳴っていた。
「中へ入るな!」
消防の指揮員が、走ってきた俺を止めた。
「右側の柱が残ってる。持ち上げたら全体が落ちる」
「人は」
「入場記録と目撃が合わない。最低四人、最大九人」
数字の幅が大きすぎた。
ガルが鼻を上げる。粉じんを一度吸って咳き込み、それでも駐車場の左端へ進んだ。
「ガル、ゆっくりでいい」
返事の代わりに、尾が一度だけ動く。
消防隊員二人が安全索をつけて後ろへ続いた。俺は入口から崩れた床を見上げる。
土で全部を持ち上げることはできるかもしれない。
どこへ重さが移るか分からないまま動かせば、下にいる人間を床ごと潰す。
「俺は何をすればいいですか」
指揮員が一瞬だけこちらを見た。
「切れるんだな」
「場所を指定してください」
「鉄筋を三本。赤で印をつける。一本ずつだ。床には触るな」
塗料の線が引かれるまで待った。
一本目を切る。天羽々斬は鉄筋を抵抗なく通ったが、切れた端が跳ねる。風を細く当て、救助員のいない壁側へ落とした。
二本目。三本目。
開いた隙間へ救助用の空気袋が入り、床が数センチだけ上がる。隊員が鋼の支柱を差し込んだ。
ガルが奥で吠えた。
一度。少し間を置いて、二度。
「生存反応、一か所!」
隊員の声が返る。
ガルの前脚が、車の下から伸びた手の近くで止まっていた。自分の爪で掘らず、隊員が来るのを待っている。
俺は車体の後ろへ回った。
「聞こえますか」
瓦礫の中から、何かを叩く音がした。
三回。弱いが、間隔は揃っている。
「今、開けます。動かないでください」
返事はなかった。代わりに、また三回鳴った。
扉の上へ梁が乗っている。切れば車体が沈む。救助員がジャッキを二本入れ、俺は土を梁の下だけへ固めた。
持ち上げない。ずれないよう、空いた部分を埋める。
「固定確認。扉を」
歪んだ蝶番を刀で切る。
中から、作業着の男が引き出された。左脚が不自然に曲がり、額から血が流れている。意識はあるが、声は出なかった。
医療班が酸素をつけ、そのまま担架で運ぶ。
ガルは見送らず、さらに奥へ鼻を向けた。
崩れた階段の下で止まる。
そこには、灰色の靴が片方だけ見えていた。
隊員が呼びかける。返事はない。
ガルも吠えなかった。
床を支え、砕けた壁を一枚ずつ外す。人の形が見えるまで二十分近くかかった。
医療班が首へ指を当て、時計を見た。
「死亡確認、二十一時三十八分」
誰の名前かは、その場では分からなかった。
白い布が掛けられる。
別の車から二人が見つかった。一人は自力で這い出し、もう一人は右腕を挟まれていた。腕の周囲だけを切り、四人で持ち上げる。俺も手を入れたが、左肩に力をかけた瞬間、開いた傷から血が背中へ流れた。
「交代してください」
消防隊員に言われ、手を離した。
今ならまだ動ける。それでも、構造を知らない俺が残るより、決められた場所を支える方が早かった。
午後十時を過ぎて、駐車場内の登録者照合が一度終わった。
救出三人。死亡確認一人。所在確認中二人。入場記録の重複があり、最大人数はまだ確定していない。
市全体の暫定報告も通信へ流れた。
死亡確認四人。連絡が取れない人、九人。
数字はその後も変わると付記されていた。
俺の視界の端には、閉じたままの獲得通知が残っている。
開かなかった。
ガルの右前脚を医療班に洗ってもらい、自分の肩へ圧迫材を巻かせる。駐車場の奥では、まだ名前を呼ぶ声が続いていた。
俺とガルも、もう一度入口へ戻った。




