第五十七話 指揮旗
避難車列の先頭が見えるより早く、ゴブリンが貨物線を越えた。
全部で十二体いる。短剣を持つのが七体、弓が三体、残る二体は赤い火のついた瓶を抱えていた。その後ろには、盾を構えたオークが二体並んでいる。
俺の背後には、横転したトラックと防衛班の車両がある。そのさらに後ろから、避難バスの白い灯りが近づいていた。
火は使えない。
風でまとめて倒せば、瓶も矢も車列へ飛ぶ。土で線路ごと持ち上げれば、バスが通れなくなる。
「射手だけお願いします」
防衛班へ言い、俺は前へ出た。
一体目の短剣を天羽々斬の鍔元で受ける。力を止めず、身体の横へ流した。骨ではない手首が返り、喉が空く。
一閃で倒す。
二体目は斬らず、足元の水だけを動かした。側溝から薄く引いた泥水が靴底を滑らせる。転んだ身体を踏み越え、火炎瓶を持つ個体の肩へ刀の峰を当てた。
瓶が落ちる前に左手で受け取る。
熱い。中の油が揺れ、布の火が手元へ近づく。
水を瓶の口へ巻きつけて消し、横転トラックの下へ転がした。
銃声が二つ重なった。
後ろの弓兵が一体倒れる。もう一体は矢を放ったが、未来視に出た線は俺ではなく、バスの運転席へ伸びていた。
届かせない。
風を細く押し、矢の後端だけを横へずらす。矢はバスの前を外れ、道路標識へ刺さった。
「止めないで。そのまま通してください!」
先頭の誘導員が旗を振る。
バスは速度を落としたが、停まらなかった。窓の内側に、人の顔が並んでいる。座席へ座れず通路にしゃがんでいる子供も見えた。
オークの一体が盾を前へ出し、車道へ踏み込む。
正面から切れば時間がかかる。
俺は盾へ刀を当てず、右足だけを土で沈めた。舗装を壊さない深さで靴底の下を抜く。巨体が傾いたところへ懐へ入り、脇の下から胸へ刃を通した。
倒れる身体を風で道路の外へ押す。
バスの左側面が、オークの足先をかすめて通った。
二台目は小型救急車だった。赤灯の下で、車体が左右に揺れている。後部窓へ酸素ボンベの銀色が見えた。
残った火炎瓶持ちが腕を振りかぶる。
そこまでの間にゴブリンが四体いた。
全部を斬る時間はない。
地面へ水を走らせ、四体の足首を同時に濡らす。次に風を低く通した。身体ではなく膝だけを払う。四体が重なって倒れた上を飛び越え、瓶を持つ手首を切った。
落ちた瓶を刀の腹で貨物線側へ弾く。
油が線路の砂利へ広がり、火が上がった。
車列とは反対側だった。
三台目のバスが通る。続いて、荷台へ人を乗せた自治体車両。最後の救助車が踏切を抜けた時、誘導員が緑の灯りを大きく振った。
『車列通過。後続なし』
背後で防衛班の銃声が続いた。俺が転ばせたゴブリンも、火炎瓶を失った二体も、銃声のたびに動かなくなる。車列が通った側に敵影は残っていない。
背後の道路が空いた。
俺は線路の向こうへ踏み込んだ。
残ったゴブリン三体とオーク一体が、倉庫の開けた積載場へ下がっている。燃料設備は左へ六十メートル。右と奥は空のコンテナだけだった。
ここなら使える。
火は選ばなかった。すでに線路脇で油が燃えている。
風を扇状に広げ、ゴブリンを空のコンテナ側へ押し込む。オークだけが盾を地面へ刺して残った。
俺は真正面から走り、盾へ土をぶつけた。
砕くためではない。地面へ刺さった盾の下を持ち上げ、両腕ごと上へ跳ねさせる。
空いた胴を一度で斬った。
風に押されたゴブリンは、起き上がる前に順番に止めた。
第一波が動かなくなる。
息を整えながら、暗渠の入口を見る。
ガルは戻っていない。
代わりに、貨物ヤードの奥で三度、低い音が鳴った。
散っていた別の魔物たちが、同時に顔を上げる。
倉庫の屋根の間を、赤い旗が移動していた。
三度目の音が消える前に、魔物の動きが変わった。
倉庫の陰へ逃げていたゴブリンが、俺のいる積載場へ戻ってくる。正面からではない。コンテナ列を回り、地上防衛班の薄い左側へ寄っていた。
オークはその外側へ並ぶ。狼騎兵はさらに後ろを走り、ばらけた群れの足並みが数秒で揃った。
さっきまで、あいつらは逃げていた。
赤い旗が動くたび、別の個体まで同じ方向を向く。
「旗持ちを狙ってください」
射手の銃口が上がった。
一発目が旗を持つゴブリンの肩へ入る。倒れた手から旗が落ちた。
群れの足が一瞬だけ乱れる。
隣のゴブリンが旗を拾うと、また揃った。
持っている個体を倒すだけでは終わらない。
俺は鑑定を向けた。
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〈赤角中継旗〉
種別:指揮補助具
接続先:詳細不明。
旗核が残る間、指揮信号を周辺個体へ中継する。
――――――――――
布ではなく、旗竿の根元に赤い石が埋まっている。
「持ち手じゃない。竿の下の赤い石を壊してください」
『同じものを南側でも確認した』
神崎の声が入る。
『こっちは用水路の向こうだ。盾が厚い』
「旗が合図を中継してます。持ち手が変わっても止まりません」
『根元の石だな。分かった。そっちは任せる』
通信が切れる。
俺たちは同じ場所へ集まらない。神崎は南の線を守りながら右の旗を止める。俺は貨物ヤードの左を担当する。
赤旗まで四十メートル。
間にオークが四体、ゴブリンが二十体近くいる。真っすぐ進めば、群れは俺から逃げて防衛班へ流れる。
追わせるための動きではなかった。
土を動かし、コンテナ列の隙間を低い壁で塞ぐ。高さは膝まで。人なら越えられるが、隊列を保った盾兵は横へ広がれない。
右には防衛班の車両。左は無人の積載場。
俺は左だけを空けた。
旗がそちらへ向く。オークの盾列も、ゴブリンも同じ道へ集まった。
そこへ風を通す。
先頭を倒す強さではなく、後ろから押し込む。盾と身体が詰まり、旗持ちが列の最後で止まった。
未来視に、矢と槍の線がいくつも出る。
全部を避ける必要はない。
左肩へ来る矢だけ刀で落とし、脇腹へ浅く入る槍は上着と防護材で受けた。痛みを残したまま、オークの盾へ足をかける。
最初のオークの肩を蹴り、盾の縁へ足を掛ける。そこからゴブリンの背中を踏み、詰まった列の上へ出た。
旗持ちが竿を倒そうとする。
刃では布を狙わない。
赤い石ごと、旗竿の根元を斬った。
硬い手応えのあと、旗核が二つに割れる。
周囲のゴブリンが同時に足を止めた。
オークの盾列も、一体だけ前へ出て、残りは別方向を向く。揃っていた動きがほどけていく。
防衛班の銃声が続いた。
俺は旗の残骸を踏み越え、近い敵から止める。指揮を失った群れは強くなったわけではない。逃げる方向も、盾を向ける相手もばらばらだった。
数分後、南から短い連絡が来た。
『右も割った。こっちの線は保ってる』
左右の赤い旗が消える。
それでも、三度の音は止まらなかった。
今度は工業区より東、旧採石場の方角から地面が震えた。
倉庫の屋根越しに、もっと大きな旗が上がる。
その下を、赤い鎧を着たものが歩いていた。




