第五十六話 分かれる牙
貨物線の踏切は上がったまま壊れていた。
遮断機の根元から火花が散り、線路上には横転した小型トラックがある。その向こうを、ゴブリンの群れが倉庫側へ走っていった。
俺は追わなかった。
後ろの防衛班が射線を作るまで待ち、貨物線を越えようとしたオークだけを斬る。盾の上端を土で押し下げ、露出した首へ天羽々斬を通した。
一体が倒れても、足音が途切れない。
ガルは線路を見ず、道路脇の側溝へ鼻を寄せていた。
「下か」
耳が前へ向く。
側溝には泥水が流れている。格子蓋の奥は人の肩幅ほどしかなく、工業区の排水暗渠へ続いていた。泥の上に、小さな爪跡が何重にも残っている。
また地面の下で音がした。
一つではない。硬いものが管へ当たる音と、泥水を踏む足音が、少しずつ近づいてくる。
防衛班の男が照明を向けた。
「地図では雨水管です。砦の外郭までつながってる可能性がある」
「塞げますか」
「ここを塞いでも、上流の排水口が六つあります。中で分かれてたら全部は止まりません」
格子蓋の隙間から、赤い光が一度揺れた。
ガルの喉が鳴る。
俺が地上へ残れば、地下から来る増援は続く。俺が暗渠へ入れば、貨物線を越える群れを止める人間が足りなくなる。
ガルなら通れる。
そう考えた瞬間、腹の奥が冷えた。
今の契約には、遠く離れたガルの位置を示す機能はない。見えているものも、痛みも、俺には返ってこない。中で道が分かれれば、どちらへ進んだかさえ分からなくなる。
「一緒には行けない」
ガルは俺を見た。
「俺はここを守る。お前が下へ行けば、足音を止められるかもしれない」
命令の形にしたくなかった。
ガルの意思を都合よく読めるわけでもない。
「無理なら戻ってこい。止められなくてもいい」
ガルは側溝へ鼻先を戻した。泥水の匂いを吸い、貨物線の向こうで集まり始めた敵を見る。
それから、自分で格子蓋へ前脚をかけた。
防衛班の二人が工具を差し込み、蓋を持ち上げる。ガルはすぐには入らず、暗渠から流れてくる空気を何度も確かめた。
肩帯の留め具に指を掛ける。
「外すか」
ガルは身体を引かなかった。
緊急離脱式の帯は、どこかへ引っかかれば外れる。外で誰かに見られた時の識別を優先し、そのままにした。
泥水の中へ前脚が入る。
次に肩、胴が沈み、尾の先まで暗がりへ消えた。
数秒後、地下で骨の折れる音がした。
短い唸り声。水を激しく蹴る音。続けて何かが壁へぶつかる。
「援護を」
防衛班の男が格子へ銃口を向けた。
「撃たないでください。中が見えない」
俺は止めた。
足音は暗渠の奥へ移っていく。ガルが追っているのか、追われているのかも分からない。
格子蓋を完全には戻さず、人が片手で上げられる高さへ木片を噛ませた。ガルが戻る出口を塞がないためだった。
その前に一人残す余裕はない。
位置を記した警告灯だけを置き、俺は貨物線へ戻った。
『大月さん、北から避難車列が入ります。三分後です』
通信の向こうで東條が言った。
線路の先には、ゴブリンが十体以上。オークの盾も二つ見える。
いつもなら、その横にガルがいた。
今日は牙が二つの道へ分かれている。
俺は地下を振り返らず、避難車列が来る道路の前へ立った。




