第五十一話 共同更新網【別視点・鳴海千景】
低い穴は、三メートル先で右へ折れていた。
千景は腹ばいにならず、片膝と左手をついて進む。短槍を前へ出せる幅はない。近藤の盾も通らないため、背負い紐を外して横向きに引いていた。
四本目の杭を角へ打つ。
青い線が三本目とつながった直後、岩色の頭が上から落ちてきた。
「一体」
千景は身を引いた。
岩トカゲの顎が、さっきまで右肩があった場所を噛む。低い通路では槍を振れない。千景は石の継ぎ目へ短槍の柄を立て、口を閉じさせないまま押し返した。
後ろから近藤が盾の縁を差し込み、頭を床へ固定する。
松永の短槍が首の柔らかい部分へ入った。
一体目が動かなくなる。
三人は死体を通路の窪みへ寄せ、盾と鞄が通る幅を残した。素材は取らない。
低い穴を抜けると、道が二つに分かれていた。
左奥から田代の救助信号が来る。右は販売地図になかった下り坂で、床に新しい爪跡が重なっている。
千景は右へ赤い未確認印を置いた。
「信号は左。右は見ません」
五本目を分岐中央、六本目を左の曲がり角へ打つ。
救助信号まで残り二十メートルで、岩トカゲが三体出た。
一体は天井に張りつき、二体が床を塞いだ。近藤が盾を置ける高さまで戻る余裕はない。
「私が転ばせるから、とどめをお願い!」
千景の丁寧語が落ちた。
鋼糸を床の岩へ回し、一体目の前脚へ掛ける。引いて転ばせたところへ近藤が体重を乗せ、松永が喉を突いた。
二体目が横壁から近藤の背へ回る。
千景は短槍で胴を押したが、穂先が鱗を滑った。前脚の爪が右肩へ当たり、上着と皮膚を浅く裂く。
熱さが遅れて来る。
手を止めず、鋼糸を爪の根元へ巻いた。近藤が振り向いて盾で壁へ押し、松永が顎下を刺す。
三体目は奥へ逃げようとした。
追えば、要救助者のいる方向へ行く。
千景は七本目の杭を投げずに床へ打ち、青い線を一瞬だけ強くした。岩トカゲが光を避けて壁際へ寄ったところを、近藤の盾と松永の槍が止める。
四体すべてが動かなくなった。
「肩を見せて」
松永が言う。
「三人が先」
「歩きながら見ます。深くはない」
消毒布を傷へ押し当てられたまま、千景は先へ進んだ。
井上たちは、崩れた石棚の奥にいた。
藤村が入口側で折れた棒を構え、田代が信号端末を持っている。井上は壁へ背をつけ、右ふくらはぎへ二重に止血材を巻いていた。布の外側まで血が染みているが、意識ははっきりしている。
「遅くなりました」
千景は三人を数え直した。
「帰ります。右の道は使いません」
「あれ、地図の左で合ってたんですよね」
井上が聞いた。
「合ってました。地図が古かったんです」
松永が井上の止血を交換し、近藤が牽引帯を腰へ回す。歩けるが、低い穴を自力で抜けさせると傷が開く。三人で身体を支え、膝をつく場所を決めた。
八本目の杭を待機場所へ打つ。
これで全部だった。
右の下り坂には爪跡が残っている。魔物が何体いるかも、どこへつながるかも分からない。八本を一つの帰路へ使い切った以上、確認には行けない。
千景は右分岐を赤いまま残した。
六人は杭を逆にたどった。井上を先に低い穴へ通し、近藤が牽引、松永が傷、千景が後方を担当する。岩トカゲの死体を越えるたび、井上に声をかけ、傷ついた脚をぶつけないよう身体の向きを変えた。
午後一時六分、全員が地上へ出た。
藤村と田代に外傷はなく、井上は右ふくらはぎの縫合と感染確認のため搬送された。千景の右肩は洗浄され、細い保護材を貼られた。
痛みは軽かった。
作業場へ戻って地図を開くと、第二分岐の青線へ指を置くことができなかった。
その日のうちに販売を再開しなかった。
販売用の紙を刷り直し、上端へ第二版と入れた。その横には最終現地確認の日時と、実際に歩いた確認者の名を置く。自分で通った線、遠くから見ただけの線、変化の報告を受けて止めた線を、もう同じ青では印刷しなかった。
受付へ送る報告欄も作り直す。更新警報が出ていなくても、分岐の形や落石、見た魔物と時刻を現場から返せるようにした。確認者が承認できるのは自分で通った区間だけで、購入者から届いた一件は、別の誰かが歩き直すまで確認済みには変えない。
誰か一人が、全部を歩いた顔をする地図には戻せなかった。
三人分の購入代金を返金し、井上、藤村、田代へ報告内容の使用許可を一件ずつ送る。
肩の傷が服へ触れるたび、低い穴の暗さを思い出した。
それでも、削除せずに記録した。
青梅小迷宮地図・第二版。
第二分岐右側は、未確認の赤い線のまま残っていた。




