第五話 路肩の女
外の光は、痛かった。右目を閉じても、まぶたの裏が白く焼ける。左目まで涙で滲んでいた。土へ手をつき、立ち上がる。胸の奥と背中が鈍く痛んだ。
家までは数歩だ。勝手口を開ければ水がある。鏡も、清潔な布もある。分かっているのに、足がそちらへ向かなかった。黒い穴が背中にある。
骨の音は聞こえない。それが、余計に気持ち悪かった。少しでも、穴から離れたかった。天羽々斬を抱え、家の角を回る。右側にある軒先へ肩をぶつけた。
距離を測り損ねた。身体は強くなったはずなのに、真っすぐ歩くことすら難しい。前の道路へ出た。山際を走る細い道には、昨日の地震で落ちた小石が散っている。下り側には赤い三角コーンが二本置かれ、その先へ軽自動車が停まっていた。
見覚えはない。白い車体の脇に、オレンジ色のベストを着た女がしゃがんでいる。道路の端へ巻尺を伸ばし、亀裂の幅を測っていた。女が顔を上げた。視線が俺の顔から、上着、天羽々斬へ落ちる。
「動かないで」
声は大きくなかった。けれど、足が止まった。女は巻尺をその場へ置き、こちらへ歩いてくる。走らない。俺の右側を避け、見えている左側へ回った。
「聞こえる?」
「聞こえる」
「名前、言える?」
一瞬、答えたくないと思った。知らない相手だった。その間にも、女の目は俺の足元と手を見ていた。
「大月。在真」
「大月さん。そこ、座れる?」
道路脇の低い縁石を指される。
「家なら、そこだ」
「見てるし、今は座って」
声は静かだったが、選ばせる言い方ではなかった。座ろうとして、膝の位置がずれた。女が左腕を取る。反射的に振り払おうとした。
「刀には触らないから、肘だけ支える」
女の手は鞘へ向かわなかった。振り払うのをやめる。縁石へ腰を下ろした途端、身体の奥から震えが上がってきた。寒さではない。握っていた天羽々斬の鞘が、膝の上で細かく鳴る。女は俺の正面へしゃがみ込まなかった。左斜め前に膝をつき、腰の小さなポーチから薄い手袋を出す。
「右目、開けないで。頭は打った?」
「頭は打ってない。背中を壁にぶつけた」
「いつ?」
答えようとして、ポケットのスマートフォンを思い出した。画面を出す。十二時七分。圏外だった表示が、弱い一本へ戻っている。
「今」
「意識は? 飛んだ?」
「ない」
「吐き気は?」
「少し」
女の指が、まぶたの周りへ触れる。身体が勝手に引いた。
「少し触る。目は押さえないから」
「分かった」
上着の胸元へ視線が落ちる。黒い染みが広がっていた。その上に、右の頬から落ちた赤い血が筋になっている。女は黒いほうへ指を近づけ、触れずに止めた。
「これ、あなたの血じゃないね」
喉が詰まった。眼窩の奥で揺れていた青白い光が戻ってくる。
「……違う」
「赤いほうは、あなたの」
それだけ言って、女はポーチを探った。どこで何があったのかとは聞かなかった。小さな滅菌ガーゼを取り出し、まぶたの上へ当てる。
「押さえずに持ってて。破片が残ってるかもしれないから、洗うのは診てもらってから」
「病院は」
「町の診療所は地震の怪我人でいっぱい。眼科が受けられるところを探す」
女は片手でスマートフォンを操作し、もう片方で俺が傾かないよう左肩を支えていた。画面には、道路の地図と赤い通行止めがいくつも出ている。
「この先は崩れてる。車を反対へ回すから、立てる?」
「自分で行ける」
「さっき、軒にぶつかってた。車で行くよ」
見られていた。返す言葉がなかった。女は立ち上がり、軽自動車の後部ドアを開ける。中には測量用の棒、折り畳んだ担架、ロープ、ペットボトルの水が積まれていた。仕事の道具というより、戻れなくなった時のための荷物に見えた。
「刀は抜かないで。後ろに横向きで置ける」
「警察に連絡するのか」
「必要なら。先に眼科へ行く」
天羽々斬を渡す気にはなれなかった。後部座席へ自分で置き、隣へ座る。ドアが閉まる直前、家の裏手へ目を向けた。角度のせいで入口は見えない。
オレンジ色のテープだけが、石垣の端で風に揺れていた。女も一度そちらを見た。何も言わず、ドアを閉める。運転席へ回る前に、助手席から名刺を一枚取って後ろへ差し出した。
鳴海千景。測量補助と、民間救助の団体名が小さく印刷されている。
「連絡先、渡しておく。鳴海です」
名刺を受け取る。白い紙の端へ、赤い血のついた指が触れそうになった。慌てて持ち替える。鳴海は何も見なかったように、運転席へ回った。




