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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない  作者: HATENA 
第三章 割れた盾

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第四十二話 平井岳【別視点・森川藍】

 治療する順番は分かっていた。


 気道。呼吸。大きな出血。意識。骨折はそのあと。


 森川藍は、平井岳の胸当てを緩めた。


「息を吸えますか」


 平井は頷こうとして、咳をした。


 濡れた音が続く。唇の端へ赤い泡が増え、胸の右側だけが浅く動いた。


 森川は治癒を使った。


 頬と肩にできた浅い裂傷が閉じる。けれど、曲がった左腕は戻らない。へこんだ胸当ての下で何が潰れているのか、触れただけでは分からなかった。


「もう一度。息を吸って」


 平井が口を開く。


 空気は入っている。それでも音が軽くならない。


 後ろで鉄棒が床を打った。


 瀬尾が短剣を構え、オーガの前を横へ動く。倒すためではなく、森川たちへ真っすぐ来させないためだった。


「開いた!」


 小宮の声がする。


 手動隔壁が、床から少しずつ上がっていた。小宮は両手で輪を回し、肩まで入る隙間を作っている。


 森川は固定具を平井の左腕へ当てた。完全に巻く時間はない。折れた位置が動かないよう、盾枠ごと幅広の帯で胸へ留める。


「運ぶ。頭側」


 瀬尾が戻り、平井の脇へ腕を入れた。


 森川は脚側を持った。


「一、二、三」


 持ち上げる。


 平井の身体が重い。装備を外していない。胸を傾けると呼吸音が変わり、水平に保とうとすると歩幅が小さくなる。


 隔壁まで十数メートル。


 瀬尾が後ろ向きで進み、森川が足元を見る。小宮は輪を回し続けている。


 オーガの足音が近づく。


 二人で運ぶ速度では、先に隔壁へ着けない。


「下ろせ」


 平井が言った。


 声は掠れ、途中で咳になった。


「動かさないで」


「下ろせ。輪、回す」


「左腕は使えません」


 平井は右手を上げた。


 森川は首を振った。ほかの方法を考える。瀬尾が一人でオーガを止める。小宮が輪を固定する。自分が平井を引く。どれも、隔壁までの距離と足音に合わない。


 瀬尾が平井を輪の横へ下ろした。


「三人が通ったら、俺が戻る」


 その言葉へ、平井は返事をしなかった。


 右手で手動輪を掴む。


 一回。


 息が漏れ、輪が止まる。


 二回。


 隔壁の隙間が、人一人通れる幅になる。


 三回。


 平井は輪の下にある爪を靴先で起こし、右手で掛けた。隔壁がその位置で止まる。


「小宮、先」


 瀬尾が言う。


 小宮は通り抜けたあと、外側から手を伸ばした。


 森川は動けなかった。


 平井の胸が、まだ浅く上下している。


「森川」


 名前を呼ばれた。


 いつもの冗談はなかった。命令にも聞こえなかった。


 森川は隔壁の下をくぐった。


 瀬尾が最後に抜ける。すぐ振り返り、隙間から腕を入れた。


「平井、手を」


 平井は右手を伸ばさず、掛けた爪を蹴った。


 隔壁が下がり始める。


 オーガが来た。


 平井は床に残っていた盾の半分を右手で拾い、鉄棒の前へ出した。


 一度だけ、音が止まる。


 割れた盾が鉄棒を横へ滑らせた。完全には流れない。鉱石をまとった先端が盾枠を押し込み、そのまま平井の肩と胸を隔壁へ叩きつけた。


 森川は隙間へ両手を入れた。


「平井さん」


 平井の身体がずれ落ちる。


 隔壁は胸の高さで止まり、完全には閉じなかった。オーガが内側から盾と身体を押しつけている。


 平井の目は開いていた。


 森川は呼吸を見た。


 胸が動かない。


「平井さん、息をして」


 返事はない。


 手を伸ばしても、首へ届かない。治癒を向ける距離にも入れない。隔壁の下へ潜れば、オーガの鉄棒がある。


 瀬尾が森川の肩を掴んだ。


「まだ閉じてない。下がる」


「呼吸が」


「森川」


 平井の胸は動かなかった。


 十秒を数える。


 もう一度数える。


 瞳孔、呼吸、反応。触れられない項目がある。だから確定できない、と言いたかった。


 オーガが鉄棒を引き、隔壁をまた叩いた。


 平井の頭が揺れても、呼吸は戻らない。


「死亡。時刻、十三時三十四分」


 森川は自分で言った。


 隔壁の向こうに、平井岳が残った。

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