第四十一話 重い一撃【別視点・小宮佐知】
足跡が、深くなっていた。
小宮佐知は走りながら、それに気づいた。
来る時にはなかった窪みが、白線の外へ一つずつ増えている。踵ではなく、足の前半分だけが泥へ沈み、底に黒い鉱石の欠片が残っていた。
背後では、瀬尾が槍を構え、オーガの消えた角を見張っている。
平井は出口側の前を歩き、森川がその後ろについていた。盾の左下に亀裂がある。だから、もう受けない。オーガが出てきても、瀬尾が槍先で距離を取り、全員で角を曲がって逃げる。
手順は決まっていた。
白線の左は浅い排水溝、右は鉱滓層。次の曲がり角まで三十七歩。小宮は来る時にも数え、帰りにも同じ場所で数え直した。前方の隔壁札は白いままで、開閉輪に異常を示す赤印もない。
後ろからオーガが出てきたら、瀬尾が槍先を見せる。平井の盾は移動時だけ構え、打撃には使わない。森川は転倒者が出ても単独で残らない。確認した順番は、一つも抜けていなかった。
咀嚼する音がした。
石を、歯で砕く音だった。
小宮は止まった。
「違う」
後ろから足音は聞こえない。
それなのに、右の壁から黒い粉が落ちている。
地図には壁しかない。二日前の下見でも、今朝の往路でも同じだった。壁の向こうには通路ではなく、鉱滓が並行して積もった層があると記録されていた。
黒い亀裂が走った。
「待って」
小宮が言った時、壁が内側から割れた。
オーガの右腕が出る。
最初に見た時より太い。肩から手首まで黒い鉱石が増え、鉄棒の片側にも新しい塊が張りついている。
オーガは、角の向こうで止まっていたわけじゃない。
鉱滓層を食べながら、並んで進んでいた。
「重くなってる」
声が喉へ引っかかった。
平井が振り返る。
「盾――」
使うな、と続けるつもりだった。
オーガが壁を壊し、高い隔壁前へ身体を出す。低い坑道では横にしか振れなかった鉄棒を、今度は肩より上へ持ち上げた。
森川がその真下にいた。
小宮の足は動かなかった。
平井が森川を押した。
身体ごと左へ突き飛ばし、自分は盾を上げる。
小宮には、平井の左手が持ち手へ入るところまで見えた。昨日、三度握らせても痺れの出なかった革。表板を替えたばかりで、木針の穴もなくなった盾だった。
新しい表板の左下へ、鉄棒が落ちた。
音は一つだった。
盾は先に入っていた白い亀裂から斜めに割れ、上半分が坑壁へ飛ぶ。残った枠が平井の左腕へねじれ、身体が床へ落ちた。
鉄棒の先は、盾を割ったあとも止まらなかった。
平井の胸へ当たり、床を滑らせる。
「平井!」
瀬尾が槍を突く。
穂先はオーガの右肩へ入ったが、黒い鉱石の表面で止まった。オーガが槍の柄を左手で掴む。
瀬尾は引いた。
戻らない。
「離して!」
小宮が叫ぶ。
瀬尾は槍から手を放し、腰の短剣を抜いた。オーガは奪った槍を捨て、鉄棒をもう一度持ち上げる。
森川が平井の横へ膝をついた。
左腕は盾枠の下で曲がっている。胸当ての中央がへこみ、平井は口を開けたまま、濡れた音で息をしていた。
森川は盾枠を無理に外さず、胸当ての留め具へ指を入れた。喉元を緩め、救急袋から固定具と止血帯を出す。どちらを先に使うか迷ったようには見えなかった。それでも、平井の胸へ触れた指だけが一度止まった。
「意識ありますか。平井さん、私を見て」
平井の目が森川へ動く。
咳が一度出た。唇の端に赤い泡がつく。
「左腕骨折。胸部圧迫。動かさないで」
「動かさないと、来る」
瀬尾が短剣を構えたまま下がる。
隔壁は二十メートル先にある。
手動輪を回して開け、三人を通し、閉める。地図どおりなら、それでオーガを一時的に切り離せる。
小宮は確認棒を捨てた。
「隔壁、開ける」
返事を待たずに走る。
足元の白線は正しい。天井亀裂も、隔壁の位置も変わっていない。
間違っていない道の上で、背後から平井の咳が聞こえた。
手動輪へ両手を掛ける。
最初の一回が、動かなかった。
鉄粉で手が滑った。手袋を外す時間はない。小宮は胸を輪へ押しつけ、両足を床の溝へ掛けた。
背後で鉄棒が床を打つ。
輪が、歯一枚分だけ回った。




