第二十八話 八本の杭
千景は八本の黄色い杭を、俺の家の畳へ一本ずつ並べた。
泥を落としても、表面の傷は消えていない。先端が削れたもの、鋼糸を掛ける溝が広がったもの、横から強く打たれて少し曲がったものもある。
「新品じゃないんだな」
「毎回、打って抜いてるからね」
千景は曲がった一本を転がし、床との隙間を見た。
ガルは部屋の隅に伏せている。千景が家へ入った時は鼻先を上げたが、知っている匂いだと分かると、杭より持参した紙袋のほうを気にしていた。
「それ、食べ物か」
「人間用。ガルにはあげない」
千景は紙袋を自分の横へ移し、地図を開いた。
「迎えは四月二十五日の朝七時。東條さんが輸送車を回してくれるから、入口までは二時間くらい」
受付へ出すのは人数と帰還予定だけらしい。千景は地図の入口へ指を置いた。
「攻略許可がいるのか」
「いる。今回は既知側坑の経路確認だけで、未踏中枢まで進んでいい許可じゃない」
俺の順位が、どこへでも入れる鍵になるわけではない。
「午後四時で前進を止める。敵が残っていても、倒せそうでも、そこからは帰る」
「ボスの前でも」
「ボスの前でも戻る」
「逃げた敵を追うのもなし」
「杭が全部生きていて、撤退時刻より前なら相談する。一本でも壊れたら、追撃より帰路を直すのが先」
条件は、俺を弱くするためではない。
千景が売る地図に、俺が倒した敵の名前だけを書いても仕方がない。その後に別の人間が通れるかどうかが、今回の仕事になる。
「壁を斬る必要が出たら」
「先に言って。支柱と水路と、杭の線を見るから」
「言う暇がない時は」
「生きるためなら止めない。でも、戦闘が終わったら壊れた経路を見る。倒して終わりにはしない」
千景は紙袋へ手を伸ばしたが、めくれかけた地図の端を押さえてから、またこちらを見た。俺は杭を転がさないように足を引き、地図の白い先を見た。
「戦闘の指示も千景が出すのか」
「帰路と撤退は私が決める。戦い方は在真さんが決めて。私は人が通る線を止めないようにする」
「合わない時は」
「今回は組まない」
「常設のパーティーじゃない」
「四月二十五日の依頼だけ。次も同じ条件とは限らない」
神崎たちと決めた案件単位の条件に似ている。ただ、政府の書類より、杭一本の扱いのほうが細かかった。
報酬の紙もあった。
依頼元から出る経路確認料は、千景の事業へ入る。俺が受け取るのは危険区画の護衛料と、討伐素材への貢献分で、ガルが戦闘に参加した分も俺の契約戦闘単位として計算される。地図の販売権は千景に残る一方、迷宮内で見つけた個人装備と、契約で割り当てられた核や素材は俺の取り分だった。
「中枢核が出たら」
「依頼範囲外。その場を閉じて、依頼元と話す」
人間側がDPを払えないことは、東條から聞いている。現金と素材の内訳をもう一度見た。
「これで受ける。ガルの分も、この条件で」
千景は地図の余白に、合意した項目だけを書いた。署名欄はあるが、どちらかに従うという文はない。
「うん。私の杭を獲物と間違えないなら、一緒に来て。前に会った時も、私を襲わなかったし」
ガルが耳を動かした。
千景は八本のうち一本を手に取り、ガルから二歩離れた場所へ横に置く。武器を構えず、触れさせようともしなかった。
ガルはしばらく見てから立ち、杭へ近づいた。鼻先で匂いを確かめ、避けて通る。
「その距離なら、大丈夫そう」
「戦闘中は変わる」
「置いた場所は在真さんも見て。ガルへ全部任せないで」
「分かった」
返事をすると、千景は一瞬だけ俺を見た。
「もっと揉めると思ってた」
「嫌なら断る。全部が嫌なわけじゃない」
「……そう」
千景はそれ以上言わず、八本を布で拭き直した。
六本を自分の細長いケースへ戻し、残り二本を俺の前へ置く。
「二本、預ける。置く場所は私が決めるから、在真さんは運んで。置いたあとは守って」
「壊れたら」
「敵より先に拾って」
二本を持つと、見た目より重かった。魔力の重さではない。何度も地面へ打ち込み、抜き、持ち帰った鉄の重さだった。
千景は紙袋からパンを一つ取り、ようやく口へ入れた。
昼を過ぎていた。
話している間に食べるつもりだったのに、条件を決めているうちに後回しになったらしい。
「それだけで足りるのか」
「帰ってから食べる」
ガルが紙袋を見た。
千景は袋を抱え直し、今度ははっきり首を横へ振った。
四月二十五日、俺とガルは千景と一緒に翠牙洞へ入る。
誰かの部隊へ入ったわけではない。
八本の杭が作る帰路を、今回だけ守ると決めた。




