第二十五話 神崎
迎えに来た車は、昨日の黒い乗用車ではなかった。
箱形の車体に窓はなく、後部扉の内側にもう一枚、金属格子ではなく透明な厚い仕切りがある。東條から送られた仕様書では、耐魔力隔壁と書かれていた。
運転席と後部区画は分かれている。後ろに乗るのは俺とガルだけだった。
「鎮静剤は積んでいますが、通常は使いません。固定檻もありません」
東條が開いた扉の横で説明する。
「ただし、一般車両と接触する危険が生じた場合は、運転席側から隔壁を追加展開します。大月さんの許可を待てない場合があります」
「ガルを閉じ込めるってことか」
「人へ向いた場合に、車外へ出さないためです。大月さんにも同じ区画に残っていただきます」
俺だけ安全な側へ逃がす仕様ではない。
ガルは車内へ鼻先を入れ、床、壁、排気の順に嗅いだ。積まれている給水器を一度見てから、自分で前脚を上げる。
床がわずかに沈んだ。
東條が息を止めたが、扉を閉める手は急がなかった。俺が乗り込むと、ガルは壁へ身体を寄せて伏せた。
都内西部の臨時基地まで、二時間近くかかった。
渋滞を避けるための経路でも、何度か車列が止まった。東條から端末へ届いた迂回情報には、地震で補修中の高架と検問が並んでいる。添えられた現場写真には、川沿いの灰色の柵と、その向こうの黒い割れ目、土嚢を積む人が写っていた。
基地は使われなくなった物流倉庫を転用していた。一般車両と交わらない裏手から入り、二重扉を一枚ずつ閉めてから、後部扉が開く。
ガルは先に飛び出さなかった。俺が床へ降りたあとで立ち、扉の高さへ耳を伏せながら外へ出た。
「思ってたより、でかいな」
倉庫の奥から来た男が言った。
袖を肘までまくった黒い作業服。二十八歳だとあとで聞いたが、短く刈った髪と日に焼けた腕のせいで、もっと上に見えた。首から身分証は下げているのに、手には通信端末と片方だけの戦闘用手袋を持っている。
「神崎だ。現場の隊を預かってる」
「大月在真」
「知ってる。十八位」
「順位で呼ぶなら帰る」
「じゃあ大月。こいつはガルでいいんだな」
神崎はガルへ手を出さなかった。牙ではなく前脚の置き方を見て、通路を半歩広く空ける。
通信端末から声が飛んだ。
『河岸入口、避難車両一台がまだ内側です。封鎖を三分延長できますか』
神崎の顔から笑いが消えた。
「追撃班を下げろ。車両が橋を越えるまで東側を閉じる。三分じゃない、通過確認までだ。俺の名で記録しろ」
返事を待ち、地図へ指を二度滑らせる。別の隊へ短い指示を出してから、端末を伏せた。
「悪い。面談より街のほうが先だ」
「それでいい」
「なら話は早そうだな」
会議室には、東條と神崎のほか、計測担当が一人いた。椅子をどけ、ガルが伏せられる場所を空けてある。
最初に確認したのは、次も俺とガルが輸送車に乗る時の条件だった。
俺とガルは同じ区画へ乗り、平時の鎮静剤と固定檻は使わない。事故時の隔壁だけは、現場責任者が俺の許可を待たずに展開できる。
「最後のは変えない」
神崎が言った。
「ガルが人へ向かった時、あんたの返事を待って死者が出たら、俺の責任だ。逆に、こっちが先に撃った場合も俺の責任にする。部下のせいにはしない」
「鎮静剤を勝手に打つのも含むのか」
「隔壁で止まらず、人へ届く時だけだ。眠らせるための定期投与はしない。檻へ慣らす訓練もしない」
俺はガルを見た。
言葉の全部が分かるわけではない。それでも、自分のことを話しているのは分かっている。ガルは神崎を見返し、喉を鳴らさずに鼻から息を吐いた。
「その条件なら乗る」
「決まりだな」
次に、黒い肩帯が机へ置かれた。主契約従魔、契約主・大月在真、緊急連絡番号。文字と反射材だけで、魔力は通っていない。
「防具じゃないし、能力も上がらない。引っ掛かったら外れる」
神崎が留め具を指で引くと、小さな力で開いた。
俺が手に取ってガルへ見せる。ガルは匂いを嗅ぎ、顔を背けた。首へ回そうとすると前脚で押し戻されたので、無理に留めなかった。
「今は嫌らしい」
「じゃあ帰るまでに、床へ置いとけ。自分から踏んでも装備したことにはならんが、匂いくらいは覚える」
神崎は笑い、すぐに書類へ戻った。
常設部隊への所属欄には、最初から辞退と記入した。
誰かと動くことまで断るつもりはない。ただ、次にどこへ行くかまで預ける気はなかった。
東條は止めなかった。別紙を一枚、俺の前へ出す。
「案件単位の協力条件です。依頼時に、場所、期限、確認済みの魔物、避難状況、要求する行動、報酬を提示します。受けるか断るかは、その都度、大月さんが決める。受諾後も、未開示の危険が判明した場合の撤退権は残します」
「命令は」
「避難路を塞がない、民間人を攻撃しないなど、その案件に必要な禁止事項はあります。攻略方法と次に行く場所を、常設の上官が決める条件にはしません」
「入口を見せる条件も入れない」
「入っていません」
報酬欄には、現金、装備、移動、治療、討伐核、素材とある。DPがなかった。
「DPは払えないのか」
「政府はDPを持っていません」
東條が答えた。
「順位と同じで、付与も移転もできません。討伐核や中枢核を報酬として受け取り、大月さん自身の権限で変換できる場合は別ですが、私たちが数字を増やすことはできない」
「攻略したって認定して、順位を上げるのも」
「できません。人間側の報告書は報酬と責任のために作ります。ステータス側の実績とは別です」
東條は一つずつ、できないことを先に消していく。
計測担当が、小型の鑑定器を机へ置いた。
「最後に、基地内の安全確認として対面鑑定をお願いします。拒否はできますが、その場合は能力を前提にした装備提供ができません」
俺は鑑定器へ手を置く前に、〈ステータス改竄I〉を開いた。
返す能力値を、真値の半分へ下げる。名前やLv、順位の欄は灰色で触れなかった。
――――――――――
対面鑑定への返却値を設定しました。
八能力:実値の50%
改竄対象外:
正規名
個体Lv
主所属サーバー
国内サーバー順位
全サーバー総合順位
総合RP
――――――――――
鑑定器の画面に、大月在真、Lv28、日本サーバー、国内十八位、全サーバー六百十二位暫定、総合RP一万五千五百七十七と表示された。
能力値は半分だ。
計測担当が画面を見直し、東條へ視線を送る。
「改竄できる」
俺が言うと、東條は頷いた。
「対面鑑定値は参考扱いにします。公開順位と所属まで隠せるとは判断しません」
「最初から半分だと思わないのか」
「その可能性も記録します。ただし、真値の提出を案件受諾の一律条件にはしません。必要な案件で互いに困るなら、その時に条件を交渉します」
最後の用紙に、緊急連絡先の欄があった。
法定親族。その下に、親族外指定連絡人。横に小さく、本人同意必須、災害時共同生活者保護特例と印刷されている。
「親族じゃなくてもいいのか」
「地震後、家族と連絡がつかない人や、婚姻していない共同生活者が多すぎました。今は緊急連絡、病院面会、避難住宅で指定した相手を扱える特例があります。婚姻や相続の制度ではありません」
千景の名前が浮かんだ。
俺が迷宮へ入る時刻と戻る時刻を知っている、今のところ唯一の人間だ。
けれど、勝手に書く欄ではなかった。
「空欄でもいいんだな」
「はい。本人へ確認してから、後日追加できます」
俺は何も書かなかった。
署名したのは、案件ごとの協力条件と、輸送規則だけだ。常設所属の欄は辞退のまま。入口の場所も、八能力の真値も渡していない。
会議室を出る時、ガルは床に置かれた肩帯を嗅いだ。
前脚で一度踏み、鼻先で押し返す。
「持って帰れってことか」
拾い上げても、ガルは逃げなかった。
神崎が通信端末を耳へ当てながら、倉庫の出口を顎で示した。
「次に会う時は、書類じゃなく現場かもな」
「受けるかは、その時に決める」
「それでいい。断られたら、こっちは別の手を考える」
軽く言ったあと、神崎は河岸入口の報告へ戻った。
俺の返事を待つために、街の仕事を止めるつもりはないらしい。




