第96話「階位」
「——斬る!」
踏み込んだ瞬間、自分の足がどこを蹴ったのか分からなくなった。
もうここには地面も距離もない。ただ、切り結ぶために必要なわずかな“間”だけが、辛うじて残っている。
それで十分だった。
“それ”も同時に動く。
互いにぶつかるのは刃ではない。形を持った何かですらない。
それでも、激突したと分かるだけの重さがあった。
——ガキィィィィィンッ!!
耳ではなく、存在の芯に直接ひびくような音だった。
空間のない場所で、世界そのものが軋んだように感じる。
「……いいな」
口の端が、わずかに上がる。
ようやく、本当に押し返してくる。
「……まだだ」
押し込む。
“それ”も押し返す。
拮抗。
ほんのわずかにでも力を抜けば、その瞬間に呑まれる。そういう均衡だった。
「……これだ」
胸の奥で、何かが静かに定まる。
空間。
時間。
存在。
「……全部」
幸運。
領域。
干渉。
ここまで積み上げてきたものを、一つずつ並べるんじゃない。
全部まとめて、ひとつの刃に乗せる。
「……乗せる」
“それ”の輪郭が、初めてわずかに揺れた。
「——終わらせる!」
——バキィィィィィッ!!
均衡が崩れる。
ほんの爪先一枚ぶん。
だが、そのズレは決定的だった。
「……入った」
“それ”の存在が、中心からずれる。
その一瞬を逃さず、そのまま振り抜く。
斬るというより、裂け目をなぞる感覚だった。
——パキン。
乾いた音がした。
“それ”が、音もなく崩れていく。
砕けたのは形じゃない。
向こう側を支えていた何かが、内側から折れたように見えた。
静寂。
完全な沈黙。
『……敗北確認』
言葉ではないものが、直接流れ込む。
「……そうか」
荒れた呼吸をひとつ吐き出す。
「……終わりだな」
“それ”は、今度こそ完全に消えた。
次の瞬間、閉じていた世界が一気に“開く”。
「……っ」
視界が広がる。
いや、視界という言い方では足りない。
認識そのものが外へ外へと伸びていき、今まで壁だと思っていたものが、ただの薄い膜に変わっていく。
「……見えるな」
世界。
その外。
さらにその外。
何重にも重なっていた境界が、もう隠れようとしない。
「……全部だ」
ウィンドウが静かに開く。
【階位更新】
【上位存在認定】
【干渉権限:拡張】
【制限解除:一部】
「……上がったな」
その時だった。
新しい気配が、遠くではなく“上”から落ちてくる。
「……来るな」
今までの延長にはない、乾いた冷たさだった。
「……まだあるか」
少し笑う。
剣を握り直す。
「……いい」
息を整える。
「……まだ終わりじゃねぇ」




