第216夜 水晶体の苦悩
「おいこんなところまで来てイヤホンつけるやつがおるか」
鎌倉の哲学の道と勝手に名付けている田楽の辻子を散歩していたら白髪の老人にたしなめられた。狭いところはすれ違う時に少し体をよじって譲り合わなくてはいけないが、イヤホンから流れる朗読に気を取られて老人を立ち止まらせてしまったようですれ違いざまにそう言われたのだ。確かに私が悪かったが、ベテラン俳優の朗読による草枕でシェレーの詩を読み上げるところに集中してしまったのだ。英語は脳に歩測を遅らせる作用があるらしく本当に無意識な行動だった。
「申し訳ございませんでした。つい聴き入ってしまい…」
「なんだ音楽はそんなに夢中になるもんなのか?」
「いえ、朗読なんです」
立ち塞いだ理由を老人に話すと、
「私もラジオで聴くことはあるが、そんなふうに歩きながら小説を聴くなんて発想はなかったのう」
「最近は文庫本はもちろん単行本でも老眼なしでは読めなくなってしまって。車の通らないこの道はこうして歩くにちょうどいいのです」
「わしは人ごみを避けてこうして滑川を見ているのが一日で一番大切な時間だ」
「大切?」
「そうだ。滑川はいつだって変わらずここを流れる」
「まあ…、それはそうですよね」
「お前さんが聴いているその草枕も何度聴いたって一言一句変わらんだろ。お前はそのためにわざわざ歩きながらでも聴いてるんじゃろ? 不変不朽ってのはどれだけ貴重なことだかわかるか」
老人はそういうと私の目を覗き込むようにして、
「守られているってことだ。つまり変えないためにこれまでいろいろな形で手を尽くされて来たってことだ」
「そういった意味では鎌倉という土地は守られている場所が多いですね」
老人は頷いたかと思うと今度はため息をついて、
「この間、上野の西洋美術館でのターナーの展覧会に行ってきたんじゃが、それはそれは素晴らしかった。あんなにもその瞬間の空気を描く画家は他にはおらん。そんなことじゃなく、帰りの電車が最悪じゃった。人はあんなにも無神経になれるものかの」
先ほどのイヤホンの時とは別な強い調子で、
「わしの反対側の優先席に若い奴が座っておってな、しばらくは車内が空いていたからいいとして、品川からはどっと乗ってきたんじゃが若い者は平然と手元の携帯電話を見続けているんじゃ。それだけじゃない、自分の前に腰の曲がった婆さんが来てるのにじゃ」
「それはひどいですね」
「わしは見かねて婆さんの肩をたたいてわしの席に座ってもらった。わしはなにもそんな風にして立つ羽目になったことに腹を立てているんじゃない。そんなばかばかしいことを見なきゃいけないことに腹が立つんじゃ。わしが人込みを避けてここを歩いているのは見なくていいものを見なくて済むからじゃ」
「まぶたを閉じてみたら…」
「そんなんで一日中過ごせるもんか。朝目覚める、その時からいろんなものが目に飛び込んでくる宿命なんじゃ」
老人はもっと話すがいいかと尋ねてから、
「そもそもおぬしはものを見るという行為を考えてみたことはあるか?」
「いえ、あまりに自然なことなので」
「そうじゃなくて、見るってことは何をしているかっていう意味だ」
「それはカメラみたいに目の前のものを取り込むというか…」
「近いがまだまだじゃ。見るというのは目の前のものを水晶体によって像を結んで網膜に写すことでそれがそういうものであることを認識する行為じゃ。ただしそれは機能を説明しただけのことで、突き詰めたら今その瞬間の現象を観測する行為なんじゃ」
「それってひょっとして素粒子の…」
「おぬし分かるか!」
老人はひとしきり量子物理学を前提とした目の前の物質の成り立ちについて話し、
「で、おぬしはさっきまぶたを閉じればと言ったが、あれが真理じゃ。みんなは目の前にあるものに一喜一憂するが、そもそも像を写す行為がこの世に存在しないとしたらどうじゃ。見たくないものという概念すらないわけじゃ」
「それじゃあ感動的なものすらないことになる」
「感動は心の行為じゃ」
老人はすっかり長話になったことを詫び、私が来た方へと向かっていった。足元の真っ赤な曼殊沙華を揺らして。




