第211夜 不老不死の調べ
歯ブラシを動かしながら窓ガラスを覗くと、裏庭の鉢に植えた朝顔が二つほど白い花を咲かせていた。年明け早々に愛犬が逝ってからも5000日に及ぶ朝の散歩で身についた早起きが続く。生前は八幡宮の源氏池に咲く蓮の花がモチベーションだったが、今は鉢脇の愛犬墓への供花として朝顔がモチベーションとなっている。
そもそもそれだけではなく早起きが歳のせいなのは間違いない。22時には床に入りiPadで数ページの物語を追ううちに睡魔がやって来る。2時頃にトイレに呼ばれ寝直すと7時間の体内時計がアラームを鳴らす。それが5時だ。それに加えてかつての愛犬時計が同じ5時に鳴るため、22時以降まで起きている日でも目覚めの時間は変わらない。要は歳を重ねるほどに睡眠時間は体が欲しないということなのだろう。
今朝は朝顔を静かな雨が揺らしていた。こんな日はノクターン。レコードがいいのかもしれないが、遠い昔にプレーヤーは捨ててしまったのでSpotifyだ。フジコのNO.20はそれでもスピーカーから鮮明な余韻を繋げるが私の心は都度ざわめかされる。車内の荷室に寝そべる愛犬はこの演奏が始まると吐息を吐いて静かになったものだった。落ち着かない車内では大体そわそわしていたのに、この音色には前足に顎を乗せて静かにしていた。いや調べを聴いていたのだ。この曲は愛犬とのドライブをプレイバックさせて、切ない。
こんなにも心をえぐられる。そのフジコの手技ももちろんだが、それよりなによりNO.20、いやショパンがいつもそこに居る。そして、「な?」とささやく。続きはもちろん「いいだろ?」だ。それが毎度。自分ではピアノは弾けないのでこうして聴く。するとその度にショパンがそこに居る。200年前には発表することのなかったこの調べに接した者ひとりひとりに確認するかのように。
楽譜は数多の鍵盤の世界で生き続ける。記憶などではない、奏でられることで甦り息をする。そして楽譜に潜んでいた不老不死たちが手のひらのスレートから来訪する。「な?」と。




