第203夜 TOCHIO TASTE
「パンもグリッシーニもトルティーヤもクルプックも既視感を超えていない。新たなものを持ってきなよ」
シェフが僕たちに課すのは珍しいことだ。シェフは自分の感性と探求でどのカテゴリーにも属さない世界一美味しい食べ物を生み出し絶賛された人で、機を衒った紛い物ではなく、本物を作る存在としてすべての料理人から一目置かれる存在だ。肉も野菜も香辛料も果物も甘味もシェフの手にかかると全世界の人が美味しいと賛する。
「シェフ、それらはそれぞれの料理に合うように出来てきたのだと思うのですが…」
そんなボンクラな質問をしたらあっさりぶん殴られた。言葉で。
「おい、佐藤。土地土地の産物は気候や風土で変わるのは当然、味覚もそれに合わせて辛いものを欲したり脂をふんだんに使ったものを求めたりする。でもな佐藤、考えてもみな。赤ん坊は辛いおっぱいで育つのか? 人間が最小限必要とする食材がおっぱいだ。そもそもおっぱいは乳腺で生成されたもので、素は血液だ。味は全世界同じだ」
「シェフ、生理食塩水みたいなイメージを持ってしまうのですが…」
「おい佐藤、俺たちシェフが追い求めるのはそれなんだ。いろんな味付けをしたりすることなく、心から体が求めるものを生み出したくはないか?」
「そんなものは今この瞬間に存在してるのですか?」
「いくらでもある。だが出来る作物、とれる獲物や果実は土地によって違う。小麦、米、蕎麦、とうもろこし、豆、芋…、炭水化物やタンパク質が肉などの栄養素を補う役目をしてきたんだ。それらをいろいろな味と食感に仕上げてきた。粉にして練って発酵させて焼く、捏ねて茹でる、炊く、でんぷんを引き出して茹でる、焼く、蒸す、揚げるなどでな」
「シェフ、食材と調理法の組み合わせは有限とは言えませんか?」
「おい、それだったら料理人なんてただの調理人じゃないか。お前はそれを目指しているのか? 違うだろ。音楽だって限られた音階しかないが尽きることはないじゃないか」
「音楽は何分も流れつづけるもので…」
「じゃあ出だしが第九で途中がスリラーで最後が天城越えなんて曲があるか? 歌番組でもそんな組み合わせは有り得んわ」
ということで既視感のないものを宿題に出された。お題は“チキンのトマト煮込みに合う炭水化物”。私自身その料理はあまり口にしない。酸っぱさとチキンの淡白さが何か物足りないのだ。来週シェフに提示する時には両方揃えなければならない。さて、初めてのレシピに取り掛かる。チキンのトマト煮込みはどの国にも存在しうる。調理法と香辛料で別物になる。ある国ではトマトソースは味噌のような存在だが、ある国ではサラダのいち素材でしかなかったりする。今回の課題もシェフのことだから特定の国の調理法をベースにしたものは頭の中にないはずだ。だが食材には相性がある。きゅうりにチョコレート、天ぷらにいちごジャム、こんにゃくにチーズ…、合うはずはないがシェフならそれをも超える。チョコはカカオ90%にしてピクルスをコーティングする。天ぷらは安納芋、バジルの葉、よもぎ餅あたりをピーナッツオイルでカラッと揚げる。こんにゃくは薄切りにしたものを天日に干し桜のチップで燻製する、などというふうに想定内のことはやらない。何を持ってくるか想像がつかない故に今回のチキンのトマト煮込みも怖いのだ。こうなるとつい機を衒った方向に行きそうになるが、それを一番シェフは嫌う。では一度作ってみることにする。オリーブオイルでニンニクから香りを出したところで玉ねぎをアメ色まで炒めメイラード反応させ、鳥の胸肉の5cmカットを十分に焼きトマトのホール缶と少量の白ワインを入れ煮込む。鍋の縁の焦げかけのソースも丁寧にこそいで入れることでコクが増す。やはりこの料理は好きではないがとりあえずは完成。さて、お題はここからだ。これに合う炭水化物だ。良質の小麦を使ったバゲットなら間違いはないが、そもそも欧米ならパンは添え物で一切れ程度を食べる程度だ。主食なんて言葉は米をかきこむ日本くらいのものなのだ。じゃかすかおかわりするのはあまりに見苦しい。ならば、なんでもいいわけではなく食事バランスを美味しく補うことを考える。ピザ生地のみを棒状にして薪釜で焼いてみる。案の定美味い。私はむしろピザは中心より周囲が好きなのだ。だが、ここまでのはあくまで試作。シェフなら見ただけで失格にするはずだ。だからこれを叩き台として発想していく。
トマト缶は煮詰めたところでペースト状になるまでが限界。チキンも皮付きの部位は肉のしっとりさを油脂が閉じ込めるためジューシーな状態を脱せない。二者の旨みだけを噛み締めたい。しかも煮込むという手段で。トマトは柿でいうところのあんぽ柿。つまり皮を剥いて燻蒸後に天日干しして半生干し柿状態にする。50%に凝縮された水分を水の代わりに利用する。チキンは親地鶏のモモ肉。ムネよりは脂肪はあるが煮込むことでコクが際立つ。これらを無水鍋で融合させていく。味付けは塩のみ。地鶏は鶏本来の味を主張するので、トマトの酸味と天日干しにより生まれた甘みが調味料となる。まるで海岸沿いにある落実寸前の完熟畑に迷い込んだ鳥が一斉に火災にあったような自然さ…、と言ったら食欲は減退するだろうがそれだけ無為、つまりおっぱいに近いのではないか。では、炭水化物の方はどうする。
こういうときは一旦白湯を飲むことにしている。味覚から離れることができる。それでいて心身が潤うことで味覚に純粋に意識を向けることができる。プリミティブな煮込みに合うもの…。こちらもやはり素材感を活かしたいが、玄米や赤米でもチャパティやサワードゥブレッドでも挽きぐるみそばやガレットでもトルティーヤやタロでもない。さて…。白湯が胃に落ちるとフラットな思考が蘇ってくる。メインの嚙みごたえをしっかり受け止めつつ味の邪魔をしないもの。地鶏の滋味が口に残るうちに食してその余韻こそを噛み締められるもの。ふにゃふにゃしたものでは顎が肩透かしを喰らう。カリカリしたものは地鶏の嚙みごたえの印象を薄らげる。サクッとしたものがいい。ただしクラッカーやクラコットの類はシェフが許さない。となると…。煮詰まった時はスーパーマーケットに行くに限る。以前歯ごたえを演出するのに、世に出たての大豆ミートを見つけ助けられた。
東口のユニオンは西口の紀伊國屋ほどハイエンドコンサバラインナップでない分、新商品に出会えるし地方食もひと通り揃えている。まずは一階のパンなどのコーナーを回るが今ひとつだ。牛乳の奥のベーグルも既視感、果物脇のナッツも既視感。エスカレータで2階へと向かう。エスニック食材にクルプックの袋を見つけるが既視感。乾物の麩も高野豆腐も違う。残るは豆腐のコーナーだ。豆腐では焼き豆腐だとしても地鶏に負ける。なにしろ求めているサクッとは程遠い。するとディスプレイの反対側にある厚揚げが目に入ってきた。厚揚げ? これを焼いてみたならば…。表面はクラッカーやバゲット的な芳ばしさは出るが中の豆腐部分は不要だ。では油揚げ? あれは汁の中でこそコクを出してくれるが単体では違う。さて…。サクッからモチッというのがイメージだ。豆腐コーナーで天井を向いて立ち尽くす。異様ではあろうが構ってはいられない。答えはもう少しなのだから。
「ちょっとすいませんねえ」
老いた女性が私の立つ脇の棚から一つのものを手に取り、
「これこれ。すみませんねえどかしちゃって」
手にしているのは栃尾揚げだ。厚揚げと油揚げの中間のようななんとも半端な存在だがなにしろ大きい。コッペパンほどもある…、あっ!
「失礼ですが、その栃尾揚げはどうやって召し上がるのですか?」
つい反射的に言葉が出ると、
「魚焼きのところで焼くのよ。私なんかはこの歳で油こいのは嫌だから、焼く前と焼いた後にしっかりキッチンペーパーで拭き取るとね美味しいわよお」
これだ。
「ありがとうございます」
三つを手に取りエスカレータを下ってレジへ向かった。
「おい佐藤。悔しいが認めよう。これはおっぱいだ。少なくともこの凝縮された煮物環境の中において最良のマナと言える」
正直あのお婆さんの助言がなかったらこの軽さは出せていなかったかもしれない。とりあえずは感謝だ。




