第202夜 ロータス カフェ
観蓮会を終えた光明寺は人の姿もなく、それでも盛大に賑やかに蓮花が林立している。朝日は方丈に遮られ、材木座からの海風が影池を撫でた涼が心地いい。クーラーなどない時代は日陰や水辺で涼感を得られるよう知恵を巡らせてきた。長い庇、打ち水、風を可視化し可聴化する風鈴、葦簀…。さらにそこで過ごす時間がより良いものになるよう趣向を凝らしてきた。
光明寺に程近い広い民家にあるこの池は山からの伏流水を溜めたもので、祖父のまたその祖父の頃から少しずつ大きさを広げ今の広さになった。当初は生活用の水汲み場だったそうだが、水道が普及すると池として鯉を入れていたが、曽祖父が源平池を真似て蓮を植えてから今の佇まいになった。さすがにこの広さの池と庭を維持するのは相当な労力を要するため次第に放置され、外からは林のような一角になっていたのを私が引き継いでから一念発起し整備した。土地境界の高木たちは樹形を整えるのみに止め、その内側の松やツツジをきちんと剪定すると曽祖父のこの庭への想いが姿を現した。池に巧みに配された大石が水面の縁を曖昧にし、その先の松たち、さらにその先の高木が緑のグラデーションを成し、その先に衣張山の稜線が空との境を際立たせる。曽祖父なりの風景画だったのだろう、確かに美しい。
私はこの景色を他の人にも観てもらう方法を考えた。ご自由に、というのもあまりにこの時代にはオープンすぎて物騒だ。時間を決めて拝観料をいただくなど恐れ多い。ならばお茶を出して観てもらうのがいいだろう、ということで庭に面した和室から縁側、そしてそこから庭に降りた20畳ほどのスペースにテーブルを4つほど置いた。後ろの席も景色が見えるように配慮したものだ。自然の風景は一日中見ていて飽きない。計算された庭園はいわば絵画だ。意図を紐解く楽しみといったらない。
お出しする飲料は由比ヶ浜大通りのアジア商会のモカマタリ、小町のスリランカティールームのダージリン、枝村園の抹茶とした。元々儲けは考えていないが、一度見てもらった庭にそれぞれのご主人が感じ入ってくださり便宜を図ってくれるので滞りなくお出しすることが出来ている。来客は平日で10組、休日で30組ほど。一度雑誌の取材を受けてから若い女性のお客さんが増えた。中にはお一人の方も多い。
「ウブドのロータスカフェは街のど真ん中にあるから観光地化されてしまったけど、田園が広がるジャラン スバック ソク ワヤのカフェ、例えばポメグラナーテなんかは一日中居られるんです。日本でもずっと探してたけど、ここはそれに近いわ」
材木座のエアビーに滞在しているという名古屋から来た30代くらいのヨギーニはノートPCで午前の仕事を終えくつろいだ表情でそう言う。
「バリがお好きな方は結構ここにいらっしゃいますね。先日試しにおはぎを作った時には米の炊き上がる香りと庭のハゴロモジャスミンの香りが混ざって、本当にバリにいるみたいだとおっしゃってる方がいました」
「ご主人はバリがお好きなのではないんですか?」
「写真では素敵なところだと思いますが、行ったことはないんです」
「ええつ、それでこの感覚ですか!」
私からしたらどのあたりがバリっぽいのかはよくわからないが、曽祖父の残した作庭図面や祖父の仏教関係の書籍を見ているうちに禅の要素が入っていたのだと思う。そう話すと、
「きっとそれですね。風土の差こそあれ、根っこの思想は一緒ですから」
「梵天ですね」
「そう、ブラフマン。よくご存知ですね。蓮から生まれた世界の創造神。つまり蓮は世界の始まりとも言える」
「蓮に備わる存在感はそう言うことなんですね。深い緑に出現する閃光のような佇まいは何なのだろうと思っていたんです」
「閃光かあ、上手いことおっしゃいますね。創造神が生まれる前に蓮があるというのも矛盾していると思いますが、そもそもの無から分子結合で物質を造った主、と考えたら通るかなぁと…」
ヨギーニの意識は禅へも向いていた。
「ほら、あの風鈴。札が揺れてるのか風が揺らしたのか…」
「…はたまた私の心が揺れているのか」
お決まりの禅問答を確認していると正午の日差しが雲間から刺す。すると蓮はゆっくりと花弁を閉じる。隣の花は4日を越えたのだろう、一枚の花弁を落とした。
「心が閉じた?」
「いえ、視覚を離れ邪気が落ちたのでしょう」
蓮池を撫でるそよ風は高木たちをカサカサ言わせ去っていった。




