第200夜 ハイウェイカレッジ
ヘッドライトが標識を照らさなければそこは闇だ。対向車や自分の先に車両がいないならば視界の一番奥は未知の世界。ブラックホールへ時速100kmで突入する気分なのだ。遠藤耕助は三崎で水揚げされたマグロを新潟へ輸送している。その距離約350km、時間にして5時間ほどだが、2年のキャリアでそれは何の苦にもならない。キャリアは闇すらも明るくする。それは先の勾配、カーブ、霧の出やすいところなどがインプットされていることを意味するため、実際にやりはしないが"目をつぶっていても"いつもの納入倉庫まで行き着けるはずだ。高校時代を全て野球に捧げ、県大会決勝で敗退して卒業後、先輩の紹介で電気工事の会社に入ったが昼夜を問わず呼び出される勤務形態について行けず今の運送会社に転職した。昼夜勤務の不規則さがキツかったのはもちろん体力的なことではない、それは勉強の時間がないからなのだ。遠藤は高校時代の学業面の遅れを何とか埋めたかった。それは野球の合間に読んでいた冒険小説から受けた影響による。デフォー、スティーブンソン、ヴェルヌ、トウェイン、ヘミングウェイ…、未知の荒野を行く男たちへの憧れはいつしか自身による未到地への到達願望、さらに未到界への興味に発展していった。
「耕やん、あんたは機械みたいだねえ。いっつも同じ時間に同じことしてるぜ」
毎週水曜日朝6時にここ赤城高原サービルエリアで顔を合わす誠さんがブラックの缶コーヒーを手渡しながら言う。
「あれ、いいんですか? ありがとうございます。機械ってのもディスられてる気がしますが…」
「またあれかい、本を聴きながら来たのかい?」
「ええ、まあ。聴いてないと眠くなりかねないんで」
「そうかあ、俺なんか本って聞いただけで眠くなるけどなあ。で、今日は何を聴いてきたんだ?」
「風姿花伝です」
「何だそのカデンってのは、冷蔵庫の使い方なんかが書かれてるのか?」
「んな訳ないじゃないですか。“製氷室の水は浄水器のではなく普通の水道水を入れてください”なんてのを、なんで高速道路で聴かなくちゃいけないんですか。風姿花伝です。世阿弥の教えが書いてあるやつ」
「世阿弥ってのはあの能のかい?」
「よくご存知ですね」
「そりゃまあ、俺だって一応大学は出てるからな」
「そうなんですか! なんでそっちの方に行かなかったんですか?」
「そっちって、哲学かい? 教職でも取ってりゃあ倫社の先生にでもなったかもしれんが、哲学やりたい奴なんて既定路線に興味がないやつばかりだ。俺はとにかく人の指図を受けるのはまっぴらなんだわ」
「誠さん、輸送は指示がないと始まらないですよ」
「ああ、だからアクセル踏むまではずっと我慢して、高速乗ってからがパラダイスよ。ところで、そのカデンってのは面白いのかい?」
「ええ。"珍しきは花"。どうですか、既視感のないものを繰り出せって言ってるんです」
「舞台でか?」
「おそらく人生全般かと」
「だよな。とぼけたふりしたがカントと世阿弥の美への意識は似ていると言われててな、"目的なき合目的性"ってのがそれだ」
「何だあ、むしろ詳しいんじゃないですか。その目的って何の目的ですか?」
「耕やん、察しがつくだろ? 美は狙うんじゃなく自然と現れるもんだとな」
「"秘すれば花"ってこと?」
「それだ」
県境の関越トンネルを抜けると、そこは雪国の夏だった。低山が青々と萌え、魚野の流れにたくさんの長竿が林立する。鮎釣りだ。鮎は流れの石につく苔を縄張りとして守り、侵入してくる鮎を体当たりで排除する。その習性を利用した釣法が友釣り。おとりとして使う活鮎の鼻に糸を繋ぎ長い竿で広範囲を泳がせると、体当たりしてくる鮎が仕込まれた鉤にかかるという仕組みだ。遠藤もヘミングウェイのカジキ釣りや鱒釣りのシーンから、魚との知恵比べに興味を持っていたが実際にやったことはなかった。こんな風に魚を運ぶ仕事に携わっているのにだ。するとむくむくと好奇心が湧き抑えられなくなる。風姿花伝の後に聴いていた岡倉天心の茶の本を一旦止め、アイザック・ウォルトンの釣魚大全を流す。
「私はこの本を書くにあたってひとつのレクリエイションから、ひとつのリクリエイションを生み出した」
レクリエイションは釣りを指し、リクリエイションは瞑想のことだそうだ。どれだけ釣りの精神性を語られるのか、そう思うといきなり深淵に引き摺り込まれる気がした。しかし、それから先は構えるほどのことでもなく、釣り師たちの習性が続き、鮎ではないが釣られる側も釣る側も何だか愛らしい。
長岡、燕三条、黒崎と稲穂の波間を走り抜け間もなく新潟市内の倉庫へ到着だ。さて、帰りはどんな未到界に挑もうか? 魚沼に点在する立派な日本民家のこと、多様な山菜の保存方法、もしくはロジスティックの未来、高速道路の自動網、睡魔のメカニズム…、全て知りたい。いつまでも走っていたい。




