第195夜 BOSE域の都市シェルター
Judee sillの歌声がノイズキャンセリングの静寂に奏でられると、車窓越しの朝の通勤の喧騒がモニターに映るシーンのように錯覚する。大船駅東海道線のホームには電車を待つ通勤通学の人々がひしめき、入ってきた電車からは同じだけの人々が湧き出し、階段へと列を作る。見慣れた光景はリビングに掛けてある絵画のように音も立てることなく、リアリティのないまま毎日繰り返される。視覚の錯覚と共にBOSEのイヤフォンからの音楽も目の前にはいない歌い手のハミングを雑音なく聴覚に届ける。たとえそこに惨事が起ころうと…。
「横浜駅付近の状況についてお知らせします」
静寂を割って入ってきたのはスマホ画面のニューステロップと横須賀線の緊急停止だった。画面から頭を上げると車窓にはこの世のものとは思えぬ光景が広がる。青木橋を過ぎたあたりの建設中マンションの屋上クレーンが数十メート下の一般道に落下し、破壊コンクリート煙が周囲を覆っている。確認できる煙間にはペシャンコの車や自転車、見えづらいが数人の人がうつ伏せになって横たわっている。それでもBOSE空間ではNorah Jonesが優しく歌うのでそれが車窓モニターのシーンの続きとなって頭中を混乱させる。我に帰りイヤフォンを外すと車内放送は冷静さを失いながら乗客の避難誘導をしている。クレーンが転倒と共に切断したらしい送電線の確認作業を行うため、一旦線路上を横浜駅まで歩いて戻るよう指示している。朝の通勤電車は満員のため先頭に近い我々の車両はまだまだ動くこともできず待機しなくてはいけない状況だ。まんじりともせず車窓に対峙するが、否応なく目に飛び込んでくる惨状を直視してはいられない。イヤフォンを付け直しスマホに目を落とすが、どのニュースもこの状況を報じており、眼前の救急車のサイレンをニュース音声から聴くというアンビバレントに陥る。
「死者25名、重軽傷52名…」
煙が収まるにつれ状況が見えてくる。屋上からの落下は猛烈な威力で地上を広範囲に破壊した。昨日までこの時間沢山の学生たちが歩いていた歩道は深く陥没し、救助隊数名が腹這いになり穴の中へ呼びかけているようだ。
隣の吊り革に掴まる大学生と思われる男子が肩を叩く。
「避難しないんですか?」
気がつけば大半の乗客はすでに横浜側の車両へと移動していた。この学生も首にアンカーのヘッドフォンを掛けているのを見ると今状況に気がついたのだろう。
「全然気がつきませんでした、ありがとうございます。しかし大変な状況ですね」
「僕もさっきまで映画に集中してたんで、急に人が移動し出したので顔を上げたらこんなことになっていてびっくりして。映画とその状況とごっちゃになって混乱してます」
“その状況”か…。イヤフォンを仕舞い歩き出した。




