第177夜 起点の白木蓮
新緑の始まりは起きがけのあくびに似てどこか正気に欠けるが、盛夏のベタ塗りされた山並みよりは借景としてはいい。落葉樹の幹と落ち葉の山肌がのぞく漉いた景色に淡緑が点在する様は、目を細めて鑑賞する印象派絵画の曖昧とした輪郭のように沁む。山桜が混ざる頃はキャンバスに余白が生まれたかのような錯覚を与えるが、やがて筆から飛沫き跳ねさせたような純白がその上に描き載せられる。白木蓮。灰色の幹は大きな花弁を盛大に纏い主張する。それはまるで描割舞台に主役演者が登場したかのように静寂が破られ、それにより物語が一気に始まる。そんな季節、鑑賞順路を終えたかのように妻はこの画景の前から去っていった。
私たちがベーカリーを始めたのは鎌倉西御門の古民家だった。とはいえいわゆる伝統的な日本家屋でなく、昭和の量産住宅。今や60年近く建つこの殺風景な家屋を古民家と呼べないのであればレトロ住宅というべきか。飴色の古びた柱をそのままに、褪せた壁だけを白い漆喰で塗り直したらレトロさに清潔感が出て、食品を置くに悪くない味のある空間になった。私たちは機嫌よく品数を加えていった。スタート時はバケットとクロワッサンのみだったが、ペストリーやデニッシュを並べ始めることで華やぎ、毎日売り切ることができた。1年半が経ち鎌倉でも認知された頃、大手デベロッパーによる区画開発が立ち上がり立ち退きを告げられた。
「この家だからこそあんなふうに発酵し焼き上げられみんなに喜ばれたのに、別なところでまた始めるなんて気が乗らないわ」
妻の言う通り酵母は既成のものではなく修行していたお店から分けてもらい繋いできた特別なもの。それがこの土地に馴染み育ち独自のものとなった訳なので、場所を変えるのは別なパンを焼くのに等しい行為なのだ。
「でも、僕らはみんなに喜ばれるパンを焼くことができる。きっと新たな土地でもその土地の人たちに合った味になるんじゃないかな」
妻は昔から不安定な状態になると途端に不安になる。そんなときは新たな方向にも光があることをいくつかの例をあげて聞かせると落ち着くのが常だった。今回は生活基盤から揺さぶられる大きな変化なので、私は考えつく限りの安心材料を慎重に用意する必要があった。もちろん私もとても不安だが、この局面から逃げることはできない、美味しいパンを作るべく前へ進むのみなのだ。
「君が焼きたかったカンパーニュは今の窯では厳しかったから、今度は大きな窯を設えることのできる所にしようよ。そしてお店の中でも食べてもらえるスペースも作ろう。こんな風に漆喰の壁を塗って大きな窓を作るんだ。そうだな…、窓から見える景色は海もいいけどやっぱり森がいいよね。こことはがらっと変えて針葉樹の森なんてどお? 木々の合間から湖越しに遠くの山並みが見える所」
妻は鎌倉を出ることに一度は難色を示したが、この家屋が立ち退き料を含め予想を大きく上回る買取提示を受けたことで私の提案を前向きに考えてくれるようになった。ある日妻が私にPC画面を見せた。
「ネットで見つけたんだけど、ここなんてどお?」
画面にはレトロな山荘が映っている。山中湖畔から少し山の方へ上がった別荘地の中古物件だ。築50年とのことなので今の家屋に近い古さだが、別荘として使用してきた躯体はどんなふうに使われ面倒を見られてきたのか、くたびれ具合は予想がつかない。
「良さそうだね。今度の定休日に見に行ってみようよ」
サラリーマンの時、昼休みにいつも休憩室で天然酵母のパンを食べているのを見て声をかけたのが妻との始まりだった。この素朴かつ奥深いパンは好き嫌いが分かれるようだが、私は20歳の頃に登山部の遠征先フランスで出会ってから虜になった。それぞれ好きなベーカリーのものを持ち寄り食べ比べたりしているうち、二人の時間は一つになっていった。結婚から3年、私はただただ今の生活を保つために働いた。仕事の会合の後も途中で出てきたオフィスに戻り終電間際まで残務をこなす、休日返上でイベントに立ち会い、登山好きなクライアントの週末登行に付き合うような日々。さすがに私の激務を見かねた妻が脱サラを勧めたのは35歳の時。これまでと同じような仕事ではなく好きなことをコツコツ行えるようなものをという気持ちが固まり、人気の天然酵母ベーカリーに転職した。3年後に自分で店を持ってコツコツ同じパンを焼き続けてきたが、同じ地での継続は叶わなかった。
子宝には恵まれず妻は毎日店頭に立ち、これまでろくに旅行もできずにきたので山中湖へのドライブは新鮮なようだ。不安な様子は見せず窓に見える富士山に感動している。
「富士山大きいね。人生で見るのは2度目。修学旅行の新幹線から見たっきりだから何年ぶりだろう」
日本一有名な山だが日本人のどれくらいの人は見ることなく暮らしているのだろうか。頂きに冠雪を残すその姿は一般的な富士山のイメージそのものだが、じっさいに麓に立つとその存在感に圧倒される。そして森林限界を越える火山の荒々しさに脅威すら覚える。妻は何も言わず窓を見ていた。不動産屋の車に先導されて物件に到着すると針葉樹の森は想像以上に密で、しばらく空き家だったせいだろう屋根に大量の落ち葉が乗っていた。内装の剥がれや床やデッキの修繕にはある程度の出費は必要だろうが、二人で住みながらの店舗としては申し分ない。何より薪ストーブがそのままなのが私はとても気に入った。妻は
「ムーミンの森みたい」
そう言ってずっと黙っていた。
鎌倉の方は閉店を惜しまれ近くでの継続を熱望されたが、山中湖移転は進んでいた。雨戸を開け放つと木漏れ日が部屋の奥まで差し込み新たな表情を見せたが、妻は変わらず淡々と内装準備をしている。ここを見つけたのは妻なのに気に入らなかったのか? それにしてはここまで進めていることに口を挟んでこない。内装は鎌倉の路線で妻の好みに向かっている。私にとっても居心地のいい空間になるだろう。それなのにこの冷めた感じは何故? 私はといえば大きなカンパーニュもフルサイズのバゲットも余裕な窯の製作に専念しながら鎌倉と山中湖を行き来している。そんなある日、妻は言った。
「富士山が怖い」
新潟育ちの妻にとって休止中とはいえ火山は馴染まないのか。この時から新たな対話が始まった。杞憂を説得したところで私にも確証はないが、山麓の人たちの表情は明るい。
「流れに任せてみたら? どうせ何かが起きる時は起きるんだし…」
この事なかれ的な言葉が妻の核心を刺激してしまったようだ。
「私は死にたくない」
正直な気持ちだと思うが極端すぎる気がする。災難を回避する準備と過剰な心配は別だ、私はそう思う。都会の通り魔への対策などないし、世の中に想定外のことなど山のように発生する。自然に対峙するならなおさらだ。
「僕と一緒に災難を迎えるのも嫌?」
それ以来妻は言葉少なになった。
春は相変わらずやって来て印象派絵画のような姿を見せてはその濃さを上げていく。バゲットは香ばしく、カンパーニュは抱えるほどの大きさで店頭を占拠する。店頭を手伝ってくれている地元の奥さんが言う。
「白木蓮が咲くとね、みいんな新しく生まれ変わるんだわ。ここら辺じゃあ富士山の残雪の鳥の形と一緒に目安になってるよお」
新しくなったのは、かつてあったはずの二人の空間と時間だ。ここでなくてもパンは焼き上がる。でもここではいけない理由へも未だ行きつかない。今はこの身が続く限りパンを焼く。例えそれがどんな状況であっても。




