第171夜 レースの天蓋
全てを投げ出し公園の落ち葉の布団に大の字になる。失敗は成功の元、素。しかしその素が過剰なら成功の芽が顔を出すことはない。サッシレールのゴミのように面倒で放置したものに限って厄介事に発展する。あまりに次から次へと押し寄せる案件の処理に追われ、都度都度の検証を怠った、というよりヘトヘトで取り掛かる前に萎えくじけていた。ツケは容赦なく回ってきた。最後のツケは雪だるまのように抱えきれなくなり懲戒の熨斗とともに突きつけられた。
永福寺跡の最奥にひっそりと広がるスペースは自転車で最短で来ることのできるとっておきのハイダウェイ。民家から遮られた雑木林は未だ枯野のまま。それが今の心境に心地いい。大の字で目を閉じしばらくは落ち葉越しに大地の抱擁に身を任せていたが、もちろん現状打破の策などもたらされることはなく、慰めすら覚えることもない。諦めるように目を開くと枯れ枝の織りなすレースのようなシルエットが空いっぱいに広がる。それは天蓋の装飾画のように緻密な、それでいて科学を駆使しても規則性を見出すことは到底できないような奇装天蓋、いや奇想天外さだ。
「暖かそうですね」
180度天蓋パノラマの中に異物が侵入してくる。
「昨日からずっと4月並みの陽気なので地面も暖められているでしょう」
西洋の古天体図の人格太陽みたいな顔に見える男性は微笑みながらそう言う。
「かれこれ小一時間になりますが、確かに寒くはないですね」
「どれどれ」
太陽氏は遠慮することもなく私の隣に横になり大の字になる。
「これは暖かい。自然の力はすごい。我々など足元にも及ばない」
そう言う太陽氏のことをチラリと見やると、先ほどの私のように目を閉じているが口を開き、
「いやあ、仕事に疲れましてね。たまにこうしてやって来るのですが、今回は特に疲れたあ」
太陽氏は何度も大きく深呼吸をしてしばらく無言だったが、思い出したように言う。
「完全にやられました。あれだけ原材料が高騰したらもうやってられません。こうなると分かっていたらあんなに大きく生産ラインを拡張するんじゃなかった。もうお陀仏です。頼朝に鎮魂された義経や藤原家の霊たちと同化した気分ですね」
思えばそういう土地だ。木漏れ日の刺す落ち葉の広場くらいにしか思っていなかったが、ここ鎌倉は思惑やら挫折やら絶望が渦巻いていたいわくの充満している土地なのだ。そしてこの太陽氏はどうやらそんな絶望のどん底にいるようだ。それに比べたら自分など取るに足らない、くしゃみみたいなものだ。
「無念とはやり残しの裏返しなのでしょうか?」
ふとそんな言葉が口から出た。太陽氏には相当失礼な話だろうと言ってから思ったが、
「やることをやった上での不可抗力ですから、そうではありません。無念とは為せば成るという一辺倒な伝承の無為への絶望なのです。煩悩を捨てきれない人間たちが跋扈するこの世において思い通りに事が進むなんて奇跡です。ほぼ全てが思惑の網の中で絡まり、偶然ほどけ、抜け出してもまた次の網に引っ掛かる。でもあの世では違うんです」
太陽氏は一旦言葉を止め目を閉じる。そしてそのまま話を続ける。
「思い描いてみてください、欲求のない状態を。欲しい、叶えたい、阻止したい、辞めさせたい、思い通りにしたい、楽になりたい、贅沢をしたい、ギャフンと言わせたい、従わせたい…、そんなものが何もない境地。生きている実感が無いかもしれない、そうそれがあの世なのです。身体という物質を稼働させるにはいろんな障害が発生します。車なんかを思えばわかりやすい。燃料も必要だし耐久性にも限界がある。そんな物質を手放し、この意識だけになったとしたらどうですか?」
どうですかと言われても、こんな落ち葉の上で身体離脱なんて…、できそうな気がしてくる。目を閉じると木漏れ日がまぶたを通してやけに明るく、しかし何やら祭りの音だけが聞こえてくるような、華やいだ世界の中に自分がいる。このままここにずっといてもいい気がしてくる、いやこれが本来のいるべき場所なのではないかと思えてくる。
「この解き放たれたような満ち足りた気持ちは何なのでしょうか?」
そう言って目を開き隣を見ると、そこに太陽氏はいなかった。もう一度真上に視線を移すと、そこには相変わらず枯れ枝の不規則な交錯が青空をバックに広がっている。しばらくその姿を見続けるとある感情がわいてきた、
「網のあるこの世も結構面白いかも」




