斎庭(ゆにわ)
ゆさささささ。
盤石であるべき地面が揺れている。
真礼は咄嗟に神器を納めた櫃に覆い被さり、天井から降ってくる埃から庇った
「真礼どの、無事ですか。」
揺れが収まると年長の猿女の美津が駆け込んで来た。
「庭へ…」
声をかけ、美津と二人で櫃を持ち上げる。神器を納めた櫃はしっかりと堅牢な造りの分、女一人で持ち上げるには重い。
もう一人の猿女の亜弥が清らかな布を敷き、周囲に塩を撒いて清める。
「何をやっているんです。神器をお隠しする几帳を持ってきて下さい。」
あと二人いる猿女の与野と田鶴が庭に座り込んでいるのを叱りつけ、室内から几帳を運び出させた。
真礼は美津と息を揃えて櫃をその布の上に据える。
櫃の周囲を几帳や布で囲ってしまうと、やっと息をついた。
「神器はいかがいたしましたか。」
その頃になって下級の祝が駆けつけてくる。
「庭へお移し申しました。」
祝は神器の櫃が、庭で几帳に覆われているのを確認すると行ってしまった。
時々思い出したように地面が揺れ、その度に遠くから悲鳴が聞こえる。真礼は他の猿女たちと共に、揺れに怯えながらもひたすらにに神器を守った。
その日はそのまま暮れた。
灯台くらいは室内に戻ればあるが、足の細い灯台は揺れがちな地面で使うのは恐ろしい。火でも出ては大変な事になってしまう。
先程様子を見に来た祝も、そのあと誰にどのような報告をしたものか、あるいは報告もしていないのか、音沙汰もない。そもそも徹底的に清められた宮の奥深くに入る事の出来る者が稀なのだ。
神器だけはせめても覆ってあるものの、自分たちの居場所もろくになく、結局猿女たちはまんじりともせず朝を迎えた。
「猿女どの方、舎人をいくたりか連れて参りました。さすがに潔斎とは参りませぬが、せめて水を浴びて身を清めさせてあります。御座所を作らせますのでもうしばらくご勘弁下さい。」
朝になって現れた昨日とは別の祝が、真礼たちの惨状を見て仰天した。
師走になろうという頃に、着の身着のまま神器を守って夜を過ごした真礼たちは、さぞや凄まじい形相だったろう。
祝は急いで猿女の側付きの女たちを呼び、さらに数人の舎人を連れてきた。
「ご無事でようございました。昨日祝が一人、こちらは大丈夫だと申されて、私たちは控えていよと。その後はなんの知らせもなく、気をもみました。」
真礼の側付きの一人である由有が、真礼に綿入れの上衣を着せ、被衣を頭から被せてくれる。舎人たちが運んできた衝立や几帳を、他の側付きたちと一緒に手早く立て回して、猿女たちの姿を舎人の目から隠してくれた。
祝が舎人に水を浴びさせたというのは本当らしく、舎人は皆唇を青くしている。この寒空に舎人も災難であったに違いない。
見られぬように気をつけながらも、衝立のかげから密かに舎人たちを覗う。
もしかしたら、という思いが真礼にはあった。阿礼も舎人として宮中にいるのなら、ここにきている舎人の中にいるのではないか。
はっきりと見ることの出来ない舎人の姿は捉えにくかったが、それでも程なく真礼は阿礼の姿を見つけることができた。
かなり背が伸びていたのでわかりにくかったけれど、わかってしまえば飛び抜けて美しい動きの、小柄な舎人が阿礼なのだとわかる。
阿礼は他の舎人に指図して、一々塩で手を清めさせている。こんな場合でもできるだけ穢を持ち込むまいとしてくれているのだ。
舎人たちは手際よく庭木を利用して天幕をかけ、神器を守って猿女たちが休む事のできる場所を整えてくれた。
去り際の阿礼と目があった。
見慣れた、けれど久しぶりの笑みが阿礼の口元に閃く。
一言も交わす事は出来なくても、久々の同母弟の姿は真礼の心を温めてくれた。
舎人と側付きのおかげでやっと順番に休めようになったので、まず交代で猿女たちも身を清めた。
天幕の奥を特に厳重に隔てて神器を納め二人ずつ側に控える事に決める。手前を猿女の控える場所として側付きたちも立ち入れるようにしたので、そこで簡単にでも身を清められるようになったのだ
最も若輩の真礼は順を譲り、猿女の中で最後に身を清めた。
由有が盥や櫛、着替えの衣類を持ち込んで、真礼が身を清める手伝いをしてくれる
「阿礼さまもご無事で、お元気そうでようございました。」
由有は真礼と二つしか違わないので、阿礼の事も知っている。
「そうね。本当に元気そうだったわ。」
急に水を浴びて身を清めるはめになった事で、風邪をひかなければいいと思う。これは阿礼以外の舎人もそうだけれど。
「宮中もあちこち傾いだり、物が倒れたりして騒動ですけれど、外はもっと大変なようですよ。」
前日は梳かす事も出来なかった真礼の髪を、濡らした櫛で丁寧に梳かして清めてくれながら、由有は昨日以来の話をした。
「倒れた家もあるようですし、多少は火も出たようですね。幸い燃え広がる前に消し止められたようですけれど。」
清めた髪はいつもよりは簡単にまとめる。奉仕する間、髪に触れる事はできないので、まとめておかなければ困る。
それからもろ肌を脱ぎ、緩く絞った布で肌を拭いてゆく。大して汚れるような事をしたつもりはなかったが、肌を清めた布を浸す盥の水は、思ったよりもひどく濁った。
「里は無事かしら。」
比売田の里は京みやこから近い。京みやこが揺れたなら当然比売田も揺れただろう。
「まだ知らせは届いていないかもしれませんけど、手の空いた折にでも邸の方まで行って様子をきいてまいりましょう。」
里からは何かあれば邸の方に知らせてくるはずだ。
猿女たちが身を清め、神器に御供を供えると、順に食事となった。
一日ぶりの食事は撤饌の米を炊いた粥で、その温かさとほのかな甘みは、快く真礼を満たしていった。




