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 結局、阿礼は地震をきっかけに初めての里下がりをした。そうはいっても地震の直後に休暇を取れるはずもなく、その後には忙しい正月に被って、実際に阿礼が里に戻ったのは年を越し、睦月も半ばを過ぎた後のことになった。

 里は意外に変わっていなかった。

 壊れた建物もあったようだが里の男たちによっていち早く再建され、怪我人もそれほどなく済んだらしい。

 収穫を納めた蔵もみんな無事で、阿礼は胸をなでおろした。

 大変だったのは沙伎の里だ。

 沙伎の里では家がいくつか崩れ、何人かの死者が出ていた。そうでなくても人少なな沙伎の里はいっそう寂しげになった。

 「沙伎。」

 阿礼が里についた時、沙伎は真新しい塚の前に佇んでいた。

 阿礼の声に振り返り大きな目をもっと大きく見開く。

 「阿礼…? 阿礼!」

 見開かれた大きな目からぽろりと雫が溢れる。一つ溢れると次々と、大粒の涙が頬を伝った。

 塚の主は里では沙伎と最も年の近い娘だった。崩れた家の下敷きになって死んだらしい。

 「全然帰って来ないんだもん。もっと早く帰って来てよぉ。」

 しゃくりあげる沙伎を、阿礼は抱きしめて髪をなでた。

 沙伎は十三になっていた。

 黒髪は背の半ばまで伸び、手足は一層しなやかに伸びた。抱きしめた身体は甘い柔らかさを帯びている。子供っぽい手放しの泣き方と、その柔らかさがひどくちぐはぐだった。

 そして沙伎と向かい合って、阿礼は自分の背が随分と伸び、身体が角張ってきていることを強く意識した。男の中に入れば相変わらず小柄な阿礼も、沙伎に比べればかなり大きかったのだ。

 沙伎を抱きしめて慰めながらも、阿礼はなんとも言えない戸惑いを感じずにはいられなかった。

 不思議なものだ。

 地震の折にひと目真礼と目を見交わせた時には、自分の体格の事などまるで気にならなかったのに。

 二年ぶりに見た真礼は一層美しくなっていた。

 神器を一晩守って疲れているはずなのに、透き通るような肌をしていた。

 似ていると幼い頃から言われ続けていたが、阿礼にあのような俗世離れた美しさがあるとは思えない。清らかな水に磨かれたような、まさに猿女に相応しい美しさだった。

 だが同時に、やはり真礼は真礼だった。

 母の胎内から共にある、阿礼の片割れにして唯一の同胞はらから。

 真礼の美しさも、言葉を交わすことさえ躊躇われる立場の違いも、真礼が阿礼の片割れであることを妨げない。

 無事で、そして疲れてはいても元気なようで良かったと思う。

 真礼の無事を早々に確かめると、気になるのは里の事や沙伎のことだったが、簡単に里に下がれる状況ではなかった。

 宮中でも傾いだ宮や潰れた小屋はあったし、京みやこでは小さくはあっても火事も起こった。頻繁に揺れが続く間は警備も忙しく、室内にいられない大宮人の御座所もいる。

 何もかもが常とは変わってただでさえ混乱しているところに、ひと月ほどで年の瀬が来た。

 多少は簡略化されていても神事もそれ以外の行事も多く、到底里下がりなど許されない。

 それでもなんとか食い下がって、手に入れた初めての休暇だった。

 ひとしきり泣いてしまうと沙伎は阿礼に笑顔を見せた。

 親しい娘の死は沙伎の表情に確かに影を落としていたが、すでにその死からふた月がたつ。沙伎の中でもいくらかは整理されつつある感情だったのかもしれない。

 どこか躊躇いがちな沙伎の笑顔は、それでも阿礼の心に刺さった。

 もっと早くに戻ってきたかった。

 この笑顔を見せられるようになるまでの沙伎を、支えてやれれば良かったと思う。

 阿礼は沙伎に土産の櫛を渡した。

 櫛は栗の木で作られたもので、片側に花房をくわえる小鳥が彫ってある。その小鳥の丸い目が、沙伎に似ていると思って求めたものだ。

 「ありがとう。うれしい。」

 沙伎は櫛をためすがめつして、それから前髪を結わえた後ろに挿した。



 休暇は短かったので、阿礼はまたバタバタと都に戻ったが、久しぶりに会った沙伎は鮮やかな印象を阿礼に残した。

 まだまだ子供じみているとは言え、十三と言えばそろそと娘と呼べる年頃だ。あと二年もすれば歌を歌いかけ、戸を叩く男が現れてもおかしくはない。

 そう考えて、阿礼はそれを嫌だと思った。

 誰よりも早く自分が沙伎の枕べの戸を叩き、誰にも触れさせる事なく沙伎を得たい。

 当たり前のようにそう思った自分に驚く。

 ずっと子供だと思っていた。

 妹のようで可愛かった。

 今でもそんな気持ちの方が強いとも思う。

 だが、沙伎は妹ではない。

 沙伎の婆様は簡単に孫娘を誰かに許すような事はしまいが、それでもいずれは沙伎に婿を迎えるだろう。

 自分以外の男が許されて沙伎に触れるようになるかもしれない。そう考えるだけで、ひどく不愉快な気持ちになる。

 (もう少し華やかな櫛にすればよかったかな。)

 沙伎への土産に渡した櫛は栗の木の櫛で、磨き込まれてはいたけれど、装飾は片面に小鳥が彫り込まれているだけだ。そろそろ娘になろうという沙伎にはもう少し華やいだもののほうが良かったかもしれない。

 (市をちょくちょく回ってみるか。)

 舎人の碌はしれているが、あまり金を使わない阿礼は懐にいくらか余裕がある。まめに探せばよい出物に当たらないでもない。

 (できれば舞うときに揺れるような。)

 宮中で見かける采女の姿が浮ぶ。動くたびにサラサラと鳴る、銀や玉を連ねた簪。どうせならああいうものが良い。沙伎の黒髪に映えるだろう。

 ああいう美しいものを贈れば、沙伎はどれほど喜ぶだろう。

 早くその顔が見たい。その顔にふさわしい品を見つけたい。

 どことなく重かった足取りも今は軽く、阿礼は都への道を急いだ。






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