猿女真礼(さるめのまれ)
真礼の朝は早い。
夜明け前に起き出して禊をし、身支度を整えて朝日へと祈りを捧げる。
かつて大王は太陽の女神の孫であった。だから遥か祖先であり、国の守り神でもある太陽には、何よりも敬意を払わなければならない。
天孫降臨の偉業を讃え、国の礎の物語を歌う。
それから日によってその日祀られる神のために歌い、宮中深く祀られる神器に仕え、かしずく。
都に上って以来、それが真礼の日常だった。
そこに不満はない。
猿女としての重要な仕事だ。
ただ、時々故郷の里が無性に恋しくなる。
厳しく作り上げられ、美しく整えられた宮は素晴らしく、猿女は相応の敬意をもって扱われている。しかし里でのように自由に表を歩き散策する事は出来ない。
双子の阿礼が舎人として出仕するために京みやこに上ってきたことも知ってはいるが、とうてい顔を合わすことなどできないこともわかっている。
清らかである事。
硬く澄んで、穢れなき身である事は猿女に何よりもまず求められる事だ。宮中の奥深く、ひたすらに清く身を慎んで、猿女たちは神に仕える。
たとえ血を同じくする同胞であるとしても、穢れた俗界のしかも異性などと対面できるはずはなかった。
阿礼だけでなく、安麻呂もまた宮中に仕える身となった。こちらは舎人ではなく、楽人多氏の嫡男として楽に携わる身となったのだ。そういう意味では安麻呂の方が、まだしもお互いに顔を見かけるぐらいの事はありそうではある。
ただひたすらに身を清め、神を讃えることが猿女の役目だ。神々の栄光を讃え、その偉業を歌い、神器のまどろみを守る事。それこそが猿女に求められる役割だった。
かつて豊鍬入姫命が神器の本体を宮中から出し、和魂だけを写しの鏡と玉におさめたものが、今でも宮中に祀られている。それでも目覚めれば強すぎる神器に仕え、守るのに、かつて大御神の籠りたもう岩戸に舞を捧げた女神の裔以上に相応しいものがあるだろうか。
大御神を岩戸から引き出すのに俗なる歌と舞が必要であったのだから、まどろみを守るための歌や舞は、どこまでも清らかでなければならないのだ。
だから真礼は自らを清める。
水と塩を用いて禊をし、僅かな穢れも許さない。
そして何より歌を、舞を、研ぎ澄ませる。
余計なものがのらないように。
ただ天へと駆け上がり、神々のもとまで届くように。
真礼の内に一つの俤がある。
天へと上る美しい歌。
ひたすらに歌う横顔は性の軛さえも超えて、ただ凛として清らかだった。
かつて真礼よりも遥かに美しい声で歌った、真礼の双子の弟、阿礼。
もしも阿礼が女だったなら。
阿礼の声が失われなかったなら。
阿礼はいったいどれ程の猿女となったことだろう。
真礼は阿礼になりたい。
阿礼ならたどり着けたであろう高みへとたどり着きたい。
そうでなくて何故、阿礼の声が失われた事を、そして自分だけが猿女になってしまった事を許せるだろう。
真礼は自らを清める。
水を浴び、塩で擦り、徹底的に穢れを落とす。
そして歌う。
天へと舞い上がってゆく、ひたすらに美しい歌を目指して。
実はこの数十年、古来の巫の権威はやや揺らいでいる。
六代前の大王の御代に日輪が欠けるという凶事があった。
それ自体は前代未聞という事象ではない。
猿女の伝承の中にも描かれる、時に起こり得る事の一つだ。
猿女はかつて祖神が行なったという伝承にそって歌舞を奉じ、無事に日輪の欠けは正された。それだけならむしろ猿女の面目躍如という事で終わったろう。
だが、その頃病床についておいでであった時の大王が、五日後に崩御された。
すでに相当に老いておられ、しかも病みついておられた大王が蝕の気に耐えきられなかったのは不思議でもなんでもない。
それでも猿女をはじめとする巫かんなぎの力不足を糾弾する声の上がる事をとどめる事は出来なかった。
そうでなくても世の中は動いている。いまや猿女のような太古の系譜をひく巫かんなぎよりも、大陸から伝わってきた技を使う陰陽師や僧が幅をきかせているのだ。彼らは大陸の知識や技術を振りかざし、古い巫かんなぎを馬鹿にする。
だがここは大陸ではない。
この国にはこの国の神々がおられ、その神々を鎮めるための術が脈々と伝えられている。それをひとしなみに古いものとして片付け、外国とつくにのやり方に変えようというのは、あまりに乱暴ではないか。
外国のやり方を振りかざす者たちの中には、天体の運行の全てを知る術があるのだと豪語するものさえいる。ただ起きた事象に対処するだけのやり方は古いと切り捨てて憚らない。
そんな状況の中で気を抜いて更に権威を貶めるようなことがあっては決してならないのだ。
宮中に身を慎んで暮らす猿女の見ることの出来るものは少ない。だが、目に見えるものだけが知る事の出来る全てではない。耳目となる謀うかみもあり、巫かんなぎであればこそ感じ取れる事もある。
何よりここは宮中なのだ。多くの策謀は宮中において生まれる。真礼が祭礼で顔を合わせるのは、政に携わる者たちなのだ。決して世間と完全に切り離されているわけではない。
荒く編んだ簾越しに小さな庭が見える。そのささやか庭に咲く僅かな花は、そろそろ夏も盛りを過ぎ秋が近いことを告げている。
秋になればまた大きな祭りがある。昨年、戦乱によって即位した御門にとって、殊更に大切な祭りが。
真礼もまた祭りのために奉斎し、歌い舞う事になるだろう。猿女の中で真礼は最も若年だが、すでに抜きん出た実力を認められている。
阿礼が女なら、猿女となったなら、どれ程に素晴らしい猿女となっただろう。
その阿礼が舎人として同じ宮中に仕えるのだという。
決して誰にも遅れは取るまい。
猿女として、阿礼の双子の片割れとして、誰にもケチのつけようのない巫である事を、真礼は自分に誓い続ける。
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