白鳥
「阿礼、お前何か面白い事をやっているんだって?」
仕事明けに朋輩の一人である那津に声をかけられた。
「面白い事というか、安麻呂が物語を書き取るのを手伝っているだけだ。」
阿礼の知る、沙伎の里の物語を全て書き取った安麻呂は、他にも物語を集めるようになった。ちょっと面白くなったのだそうだ。
ただ、物語を知っている者がいるとして、それをその場で完璧に記すのはやはり難しい。文字に書きとる事自体に拒否感を示されることも少なくない。たいていの物語は口伝で伝えられているからだ。
それで安麻呂は阿礼を伴って物語を聞きに行くようになった。
安麻呂が書き落としても、そもそも書取る事ができなくても、阿礼がいれば聞いた物語は覚えている。
都に都合よく各地の語り部がいるわけではないので、聞くことが出来るのはたいてい聞きかじりの断片だが、それでもあちこち聞いてまわれば色々な話が集まってくる。舎人の何人かにも聞いたので、阿礼がそういう手伝いをしていることを知っている者は多かった。
「俺の知っている奴に、一族のいわれを残したがってる奴がいるんだけど、聞いてやって貰えるかな。」
そしてそんな事をしていれば、こう言う話も出てき始める。
「もちろん。那津の里の話か?」
尋ね返すと、那津は首を横に振った。
「いや、地震で里がだめになって、都に出てきたんだと。厨の下働きの婆さんなんだけど、いわれが絶えるって嘆くからさ。」
その女は那津が子供の頃に亡くなった祖母にちょっと似ているのだそうだ。
安麻呂も一緒に伴われて、那津に連れて行かれたのは、下級役人のための食事を調える厨だった。
皮を剥いたり筋をとったりという作業をこなす中に、那津の言う「婆さま」がいた。確かに若くはない女だが、沙伎の婆さまや比売田の大刀自のお婆ほど年を取ってはいなかった。
手が空くのを待って、話を聞いた。
女は名を加曽女といい、もともとは鈴鹿山中の里に暮らしていたらしい。
筑紫の地震の前年に起きた地震で里を失い、都に出てきたのだと言う。
「ほんにひどい揺れで。山が里を呑んでしもうた。残ったもんだけではもうどうもならんで。」
あの時だ、と阿礼は思う。
真礼に持たされた衣装を身に着けた沙伎が、歌を歌ってくれた時。足を潰された婆に乾飯を分けたのを覚えている。次に沙伎の里を訪れたとき、乾飯を分けた婆はもういなかった。
「里のいわれももうわししか知らん。わしが死んだら絶えてしまう。」
加曽女の里に伝わるのは、白鳥になった皇子の物語だった。遠く東国のまつろわぬ族を平らげた皇子は、帰路で受けた傷が元で生命を失ったという。皇子は死して白鳥に身を変じ、大和へ向けて飛び立ったそうだ。
「わしらの里はみこさまの従者が作ったのよ。わしらは白鳥を追って山中へ入ったが、途中で力尽きとどまらざるをえなんだ。みこさまと同じく手傷を受けた者たちが、進むもならず留まったのがわしらの里よ。わしらはみこさまの翼がかすめた梢の下にとどまり、そのいわれを永く忘れまいと誓い合うた。」
加曽女は白鳥の話だけでなく、皇子の戦った話も語り継いでいた。
皇子を守った太刀と、それを手放したためにとった不覚。常勝の皇子はその不覚故に傷を負う。
思いの外に豊かな加曽女の話を聞くために、阿礼は安麻呂と幾度か加曽女の元に通った。
「みこさまの白鳥はどこまで行かれたのかのう。みこさまは京にたどり着かれたのじゃろうか。」
加曽女は度々そのようなことをつぶやき、阿礼はもしもそれらしい話を耳にしたら、きっと加曽女に知らせようと約束した。
阿礼が安麻呂とともに集めた物語はまだ少ないが、それでも阿礼の知る比売田や沙伎の里の伝承と、どこかでつながっていそうな話を知っている。白鳥の皇子のたどり着いた先の伝承が、残っていてもおかしくはない。
続く戦乱や天災は、連綿と受け継がれていたものをいくつも絶ち切ってしまおうとしている。物語を集める行為は阿礼にそのことをひしひしと思い知らせた。
やはり墓だ、と思う。
自分たちは失われるものの墓を作っているのだ。
墓は生命を元通りに蘇らせる事はできないが、その生命のあった事を記憶する役には立つだろう。
少しでも、あったものをありのままに残すために、阿礼は耳を澄ませ物語を自らの中に刻みつける。




