帝徳
帝徳とはなんなのだろう。
帝徳ある帝のたつ時、世は平らかに治まり、民は繁栄を享受するのだという。
この国でだけ言われる話ではない。
大陸では皇帝に帝徳なく王朝が天命を失う時、天命は改まり新たな王朝が立つのだそうだ。
天命の改まる事を革命と呼ぶ。
不徳の帝王。
呪われた御門。
声にならない囁きは、それでもひたひたと大海人へ向けて寄せてくる。
大友では支えきれないと思った。
大友と、その臣下には、任せてはおけなかった。
先帝である兄は、急ぎすぎたのだと思う。
大陸に侮られまいとするあまり、あまりに性急に大陸に全てを近づけようとした。
何かが、何かよりも完璧に、優れていることなどありえない。
ちょうど、兄が大海人に全てにおいて勝っていたわけでなかったように。
大友が全てにおいて大海人に劣っていたわけではないように。
直系の嫡子相続というものは、おそらくこの国に合っていない。母系も重視されるこの国には、もう少し緩やかな皇位の継承が合っている。
時に大后が継ぎ、兄弟が継ぎ、緩やかに世代を渡してゆく方が、軋轢が少ないのだ。先帝の傍らで十分に政に携わり、状況を把握している者が後をつなぐという利点もある。
大友も確かに兄の生前から政に加わってはいたが、それだけでは無理だ。
大友は白村江の戦にかかわっていない。
今、この国の苦境と恐怖の源泉を理解していない。せめて白村江の始末が終わるまで、政の手綱は白村江を理解している物が握るべきだ。
裏切り
おもねり
虚実入り交じる、あらゆる物事が裏と表だけでは語る事のできないあの戦を知らずして、いったい何ができるだろう。
戦場から戻った僅かな兵は憔悴し、彼らの見たものが乗り移って来たかのように、大海人は悪夢を見るようになった。
押し寄せてくる唐の軍勢。
横あいから斬り込んでくる新羅。
背後で崩れる百済。
その中で僅かばかりの倭国の兵などひとたまりもない。
勝利がなかったわけではない。
だが、そんな僅かの勝利は虚しく、百済の再興などありえぬ夢でしかなかった。武器も戦法もあまりに違った。
肝心の百済勢の意志の統一さえもならず、主君が功臣を討つあの状況で、細々と百済の命脈を保ったところでなんになろう。まして任那の復活など夢のまた夢だ。
もしも唐が余勢をかって倭国まで攻め寄せて来るようなことになったら。
恐怖は海防のための数多の柵を巡らさせ、大宮人を京へと逃げ戻らせ、それだけでは足りずに遷都までする事になった。
兄が大津に築いた近江京は、白村江の敗戦と、唐への恐怖が築かせた京だ。
難波からさらに奥、しかも淡海を通って背後へ逃げることもできる。
兄がその敗北の京を、敗北の意味のわからぬ若者に譲ろうとした事が、大海人には許せない。いかに周囲を年長の大臣で固めようと、肝心の御門が自分が対峙すべきものをわかっていないのでは、どうにもならないではないか。
大海人は大友を討った。
大友を討って力づくで玉座を手に入れた。
そして京を奈良の地に戻した。
兄が急激に唐の制度を取り入れる事に反感を抱いていた者たちは、大海人が全てを旧に復するかのように考えて喜んでいるらしい。
勝手に喜ばせておけばいい。
何もかもを旧に復すなど、土台無理な話だ。
流れる川を逆流させようと堤を築いても、うまくいくはずはないだろう。
大海人にもあの敗戦の重さ、苦さは、骨の髄まで刻み込まれている。
だが、逃げるのでなく、媚びるのでなく、この国は唐と渡り合うべきだ。
そのためにこそ、唐の文物も取り入れよう。
新しい制度にも倣おう。
だがこの国が亜流の唐になる必要はない。
まして唐への臆病風に吹かれてへつらったところで何になるだろう。
恐怖の意味もわからずただ倣うなど問題外だ。
大陸の、そして半島の国は必ず移りゆく。
天孫から連綿と続くこの国でさえ全ては移り変わるのに、国も王も移りゆく大陸で変わらないものなどありえない。
間に海を隔てたこの国に侵攻する事は、唐といえども簡単ではないだろう。
兄の治世の間に大海人は、その事に確信をもった。
ならば強かに時を待ち、渡り合い、この国をこの国としてあり続けさせるという方策を考えるべきだ。
それは変わらない、という事では決してない。この国はこの国として変わるべきだ。どこかの国の真似事ではなく。
それこそが自分がなすべき、導くべきこの国の在り方だ。
まっすぐにその道が見通せているわけではない。
それでも大海人には、これしかあるまいという思いがある。
だが。
不徳の帝王。
呪われた御門。
戦乱によって始まり、次々と災害に見舞われる大海人の治世に、不安を持つ者は少なくない。
戦乱を起こすのは人の意志だが、災害を起こすのは神の意志だ。
その考えに立つならば即位以来の災害続きは、大海人に対する神の不満ともとれる。
しかし、ではどうすればという答えは見つからない。
勝手な意見をまくしたてるのは、責任なくただ自分の都合を主張したい者ばかり。
一体何がいけないのか。
一体何が正しいのか。
何一つはっきりとはしない状況で、ただ不満ばかりが聞こえてくるのに、耳をふさぐわけにもいかない。
せめて民心を安んじようと、大友の正妃であった十市を押し立てて挙行しようとした大祓も、その十市の急死によって取りやめとなった。ダメ押しのようにそのために用意した宮が直後に焼け落ちた事は、大海人の「不徳」をいっそう印象付けたことだろう。
十市の事では大海人の胸も痛む。
父と夫の板挟みとなり、父に夫を攻め殺され、様々な思惑の間で苦しんだ挙げ句に、結局は殺されてしまった。
そうだ、十市の死は自然死であるはずがない。
よりにもよって大祓のその朝に、それまで病の気配もなかった十市が頓死するなどと、ありえるはずがないではないか。
だが、その疑いを言立てたところで、大海人の不徳が更に印象づけられるだけだろう。それが神意故だと言われてしまえば、十市謀殺の証拠でもない限り、効果的な反論は難しかった。
さらにその後に筑紫を襲った地震に、寒さの厳しかった冬。
山や森の秋の実りの乏しかった事もあり、野の獣による被害も増えているときく。
せめてもの救恤は行ったが、ないよりはましという程度のものでしかない。
「吉野へゆくか。」
口に出してみると、悪い考えではないように思われた。
有力な皇子たちを連れて、雌伏の地であった吉野に行ってみるかと思う。行って、皇子たちに国を支える覚悟と自覚を示してほしい。
国をわけていられる余力など、この国にありはしないのだ
確かに大海人は乱を起し、帝位を奪った。
もしもせずにすむ乱ならば、起こしはしなかっただろうと思う。
起こさねば殺されるからこそ起こした乱だった。
だからもう、こんな事はあってはならない。
国は一つとなって進まねばならないのだ。
大海人は下官を召し、吉野行幸の検討を命じた。




