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第45話:一ノ瀬直也

 喉の奥に、ひりつくような痛み。

 咳止めを飲んだはずなのに、わずかな違和感は残っていた。

 鏡の前でネクタイを締め直し、息を整える。


 ――体調なんて言い訳にできない。

 今は倒れるわけにはいかない。


 ここ数日、ほとんど睡眠時間を削った。

 会社にいる間は会議と調整に追われ、夜は自宅のリビングで資料と格闘する。

 保奈美が勉強ノートを広げている横で、オレはひたすら数字と格闘していた。


 AIデータセンター構想。

 その根幹となる地熱発電プラントの新設を含めた、トータルビジネスプラン。


 「机上の空論じゃ通用しない」

 経産省の担当官に対しても、資源セクターに対しても、机に並べるのは“実現可能性”だ。


 発電量のシミュレーション。

 ピーク電力需要とAI処理の負荷分散のモデル。

 想定建設コストと、売電収入による回収可能性。

 データセンターのラック数、冷却効率――すべて、簡易ながら数値で裏付けられる形にした。


 画面に並ぶのは、数百ページに及ぶ試算資料と、要点をまとめたプレゼンテーション。

 「我ながらよくここまでまとめたな……」と自分でも呟いてしまうほど、荒削りではあってもロジックとしては通せるだけの内容を用意した。


 机の端に置いたスマホに視線を落とす。

 加賀谷さんに送ったメッセージが「既読」になっていた。


 ――経産省の担当官に非公式で会ってもらえる。

 日程は仮押さえ。あとはこちらが準備を整えるだけだ。


 「ここからが勝負だな」


 声はかすれていた。

 だが、胸の奥には奇妙な高揚感があった。


 非公式の一手。

 これを成功させれば、資源セクターを含む社内の合意形成は決定的になる。

 逆に、ここでしくじれば……全部が振り出しに戻る。


 逃げ道はない。


 ノートPCを閉じ、最後にもう一度プリントアウトした資料に目を走らせる。

 地熱発電のポテンシャル。

 AI需要の拡大予測。

 そして、グリゴラGPUを用いたサーバー群という“国策的な旗印”。


 数字と戦略を一枚の矢にして、経産省の心臓に打ち込む。


 息を吐くと、喉がわずかに疼いた。

 その痛みを振り払うように、オレはジャケットを羽織った。


 ――準備は整った。

 次は、直接ぶつける番だ。


※※※


 省庁の会議室独特の静けさが、耳にまとわりついていた。

 白い蛍光灯の下、無機質な長机。

 壁際に置かれた観葉植物すら、緊張感を和らげるには力不足だ。


 目の前には経産省の産業政策局の課長補佐。

 隣に加賀谷さんが座り、軽く腕を組んでいた。

 その存在感だけで、こちらの発言に一定の重みが加わる。


※※※


 「――結論から申し上げますと、我々としては頂いている御社のプランについては、大変ポジティブに捉えました。是非前向きに検討させて頂きたいと考えています」

 担当官の声は柔らかかった。だが、その裏に条件が潜んでいるのは明らかだ。


 「ただし」

 その一言に、会議室の空気がわずかに締まる。

 「AIデータセンターを“国策推進”として位置づけるにしろ、一方でグローバル市場への配慮は欠かせないとも考えています。

 特に米国との関係。半導体も、AI産業も、国際的な資本の連携なしに成立しないのが現実です」


 オレは頷きながら、心の奥で素早く整理した。

 ――つまり、“日本主導”を前面に掲げながらも、米国にも応援者を置け。

 国内政治の建前と、国際市場のリアリズム。両方を兼ね備えるスキームが必要だということ。


 「承知いたしました」

 オレは一呼吸置いて口を開いた。


 「AIデータセンターの基盤構築は、日本が主導で進めさせて頂きたいと考えています。

 ただし、その枠組みに米国のAIプレイヤー、あるいは資本も参画していただけるように検討させて頂きます。

 日本だけでなく、米国にも味方を持つことで、日米双方の利益を整合させる構造を作れるように至急調整したいと思います」


 言葉を切り、相手の反応を見た。

 担当官の瞳が僅かに動く。

 意外ではない、むしろ期待していた、という顔だ。


 続けて、もう一歩踏み込む。


 「さらに、日本GBCにもJVとしての参画を打診してみたいと思います。

 グリゴラへの技術供与関係を踏まえ、日米の資本と技術が揃えば、国としても支援の理由付けは十分になると考えます」


 沈黙が数秒、会議室を支配した。

 やがて担当官は、机上の資料に視線を落としながら言った。


 「……もしその枠組みを整えることが出来れば、我々としても全面的にバックアップする用意があるとは申しておきましょう」


 ――出た。落とし所だ。


 胸の奥に熱が走る。

 これはまだ正式な合意ではない。だが、事実上の“内諾”だ。

 方向性を読み取り、即座に提示した自分の言葉が、確かに局面を切り開いた。


 会議を終えて部屋を出た瞬間、深く息を吐いた。

 喉の奥が再びひりつく。だが、不思議とその痛みが心地よかった。


 「よくやったな、一ノ瀬くん」

 加賀谷さんが肩を叩く。

 「相手の本音を読んで、その場で打ち返せる奴はそう多くない。――あとは形にするだけだ」


 頷きながら、心に誓った。

 ――必ず整える。

 日本主導の枠組みを、米国の力も巻き込んで。

 その上で、経産省を――国を――動かしてみせる。


 咳止めで誤魔化した身体は正直悲鳴を上げていた。

 だが、心だけは研ぎ澄まされていた。

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