第35話:一ノ瀬直也
出張から戻った翌日。
オフィスの会議室。課長と亜紀先輩を前に、オレは深く頭を下げた。
「……一点、ご相談があります。グリゴラの加賀谷さんに、非公式でお会いしたいんです」
課長の眉がぴくりと動く。
「直也、お前……まだ社内の正式プロセスを通す前だぞ?」
その視線を正面から受け止める。
「はい。承知しています。ただ、内部の合意形成を動かすには“外の仮確約”が要る。加賀谷さんが“協力の余地あり”と答えてくれれば、それが社内を動かす最強のカードになるのではないでしょうか」
課長は腕を組み、しばらく黙り込んだ。
冷たい沈黙が部屋を支配する。
逆にもし加賀谷から“協力できない”と返されれば、この案件は、下手すると半年は棚ざらしになる。だが――賭けに出る価値はある。
やがて、深い息を吐いて首を横に振った。
「……賭けになるな。だが、筋は通っている」
その言葉に、オレの背筋が伸びた。
「最小限の了解は与える。ただし“非公式”だと肝に銘じろ。会社を代表する看板は絶対に背負わず、あくまでも“ヒアリング”程度のニュアンスでいくんだ」
「承知しました」
亜紀先輩が横で小さく笑った。
「直也くんが一人で背負い込むのは絶対ダメよ。責任なら私も一緒に負うから」
その言葉が、心に灯をともした。
※※※
数日後。
都内のホテルラウンジ。
指定された時間に現れたのは、端正なスーツに身を包んだ男――グリゴラ執行役員、加賀谷 隆司。
「やあ」
軽く手を上げ、笑みを浮かべる。
その瞬間、オレの胸に既視感がよぎった。
「覚えているよ、五井物産でのあのときの君の対応を。まだ若手なのに、驚くほど迅速に投資決裁を通してくれたじゃないか。正直、あのスピード感は日本の大手商社では珍しい」
あの時、オレはいち早く会社として手を挙げる事が重要だと考えて、上司の了解を得て、経営陣への稟議をフルスピードで通すように動いた。更にその状況を恣意的に経済紙にリークするように、ウチの広報とも連携したのだ。
いち早くウチが投資すると意思決定した事で、他の投資検討をしていた―実際には様子見していた―事業者が一斉に『右に倣え』をした。こういう案件では同じ規模での投資でも、最初に意思決定した者のバリューは段違いになる筈だと考えての行動だった。
思わず背筋が伸びる。
――オレを覚えていてくれた。
「恐縮です。あのときは多くの方々の支えがあったおかげです。ただ、その経験があるからこそ……今回は逆にグリゴラさんの、いえ、まず加賀谷さんのご意見をお伺いしたいと思っています」
加賀谷は目を細め、グラスの水を一口飲んだ。
「なるほど。聞こうじゃないか。今度は一体どういった話なのかな?」
オレは端的に語った。
――東北の地熱を基盤にしたAIデータセンター構想。
――クリティカルパスは、地熱拡張・温泉街調整・行政特区指定。
――そして何より、国の半導体政策と“軌を一にする”こと。
加賀谷は顎に手を添え、ゆっくり頷いた。
「……悪くない。むしろ、今のグリゴラにとっても都合がいい。投資の為のキャッシュは君のお陰もあって充分に確保されている。投資による研究開発と製造工程の先進化、ここまでは既に進行中だ。そして2nm世代以降の次世代半導体の販路をどう確保していくかが次の課題という訳だ。GPUの供給先を“国策案件”として紐づけられるなら、私にとっても強いカードになるよ」
その言葉に、胸の奥で静かに炎が燃え上がった。
――やはり、このタイミングしかなかった。
「加賀谷さん。これは日本の未来にとっても重要な案件になります。グリゴラと共に、この国策の最前線を作りたいと思うのです。お力添えいただけないでしょうか」
そう言うと、加賀谷はふっと笑った。
「いいね。君はあのときと変わらない。いや――ますます頼もしくなった。――是非協力させて欲しい。今直ちに『グリゴラ全社として』とは流石に言えないが、例えば……グリゴラの加賀谷の名前を使ってもらうのは構わないよ。」
「ありがとうございます」
オレは加賀谷に丁寧に頭を下げた。
ラウンジの窓から見下ろす東京の夜景が、金色に滲んで見えた。
非公式なアプローチはどうやら成功したようだ。




