第28話:出張最終日(一ノ瀬直也)
視察二日目の夜。
会議が終わったあと、宿の温泉に浸かり、部屋に戻ると、廊下で浴衣美人と鉢合わせた。
「直也くん、ちょっと歩かない?」
声をかけてきた、その浴衣美人は――亜紀さんだ。
外はもう暗く、温泉街と言っても八幡平はそれほどの規模ではないから、有名な温泉名所のような華やいだ雰囲気も乏しい。
けれどその分、素の自然がそのまま迫ってくる。
川のせせらぎと虫の声が響き、東京では考えられないほど静かな夜が感じられる。
「さっきの議論、直也くんはどう思ったの?」
並んで歩きながら問われ、オレは迷わず答えた。
「まだまだゴールには遠いけれど……充分に可能性はあると思います。
条件さえ整えば、最短で5年から7年以内で実現する見通しも立てられるのではないでしょうか」
「ふふっ。……そういうところ、やっぱり直也くんらしいね」
横顔を見ると、先輩は少し笑っていた。
「リスクや障害ばかりを並べて、最後は “慎重に検討します” で逃げるだけの人も多いのに。直也くんは、どうすれば実現できるかをまず考えている。
……新人の時からいつもそうだったね」
オレは少し肩をすくめた。
「課題は山ほどありますよ。温泉街との共存も、送電線整備も、役所との調整も。
第一肝心な電源確保にしても現時点では目処が全く立っていない」
「そうね。
……でもあなたがこのプロジェクトを前進させる為に先頭に立つというのなら、私はあなたを全力で支えるわ。
言っておくけれど、元チューターだからというだけではないわよ」
さらりと口にされた言葉に、思わず立ち止まりそうになった。
亜紀先輩の声は穏やかだったが、そこには強い意志が感じられた。
「直也くんがこのプロジェクトの“推進力”になると私は信じている。
ウチの会社だからこそ出来る資源セクションも巻き込んだITセクション主体の巨大プロジェクトは、あなたのような人が中心になって進めるべきだと私は信じているの。
その時に、直也くんをきちんとサポートする役割の人は絶対に必要でしょう?」
「……サポート……確かに絶対に必要ですね」
「そう。あなたは真面目すぎるから、全部背負い込んでしまうでしょう?
でもそれだけではこういう大きなプロジェクトはなかなか回せないし、回らない。
だから私のサポートは絶対に必要よ」
オレは頷いた。
亜紀さんは笑みを浮かべている。
「だから全部を抱え込まないで、私にはきちんと相談してね。
私はあなたを補佐する立場として、このプロジェクトに付くつもり。
あなたが一人で抱え込まないように、ね」
温泉街の灯りに照らされた横顔は、大手町のオフィスに居る時と違って、すごく柔らかい。
「その時は、……よろしくお願いします」
自然に、そう口にしていた。
翌朝、この出張も今日が最後だ。
温泉街を流れる川沿いを少しだけ散策した。山から吹き下ろす風が涼しくて、頭が冴えていく。
小脇に持ってきたノートPCを開き、前夜にまとめた骨子にさらに幾つか書き足した。
・電源については、既存地熱井の活用+モジュール方式でリスク分散する方向性で、どの程度のワット数を確保できるのかを早々に試算する
・国への特区申請の道筋を明確化する(経産省ルート/環境省ルート)
・自治体との合意形成のロードマップの精緻化(温泉組合説明会→還元策提案→観光振興基金)
亜紀先輩がオレの顔を覗き込んだ。
「朝からもう仕事しているの?」
「ええ。せっかく現地に来て、いろいろ把握できたのだから、その考えを早めに整理しておきたくて」
「ほんとに……あなたは仕事が好きね」
呆れたように笑う先輩。
けれど、その目には確かな期待が宿っていた。
この出張で掴んだものは小さくない。
実現する方法がある筈だ。――世界最大級のAI特化型データセンターを、日本の資本がリードして、しかもエコ電力だけで支える未来は、現実のものになる。
いや、絶対やらかねればならない。
日本の未来を切り開くためには巨大なAI計算資源が絶対必要なのだから。
――そうだ。エコな巨大AI計算資源が。
オレがその "未来" のイメージを思い浮かべる時、いつの間にか保奈美の優しい笑顔が、いつも重なるようになっている。
保奈美が大人になる頃までに、地熱発電を電源とする世界最大級のエコAIデータセンターを絶対に実現するのだ。
帰りの新幹線。東京に戻る前に、オレはそのたたき台をまとめ上げる決意を固めていた。




