第27話:はじめてのメイク(一ノ瀬保奈美)
直也さんが岩手に出張に行ってから二日。
家の中は驚くほど静かで、広く感じられた。
ご飯を作っても、「美味しい」って言ってくれる人がいない。
掃除をしても、「助かるよ」と笑ってくれる人がいない。
ほんの数日なのに、私の中のやる気の糸がぷつんと切れてしまいそうだった。
――やっぱり、直也さんがいるから頑張れるんだな、私……。
そんな気持ちを抱えたまま学校に行くと、親友の真央が、にやりと笑いながら近づいてきた。
「ねぇ保奈美。あんたさぁ、折角の自分の美貌を、もうちょっとは大事にしたら?」
「え? 私? ちゃんと洗顔もしてるし、日焼け止めも塗ってるよ?」
「そういうことじゃなくて!」
真央は机に肘をつき、じっと私の顔を覗き込む。
「素で十分可愛いけれど、宝の持ち腐れだよ。
保奈美ならば、ちょっと手を加えるだけで一気に化けるんだってば。
……ほら、メイク、教えてあげるから!」
「えっ、私そういうのは……」
慌てて首を振ったけれど、真央は容赦なくポーチを取り出した。
私はこれまでメイクというものを全くした事がない。
だいたい校則でも禁止じゃなかったっけ?
「大丈夫。ナチョラルでいいの。ファンデなんて要らない。保奈美の肌はそのままで充分綺麗だし」
そう言って、眉を軽く整えてくれる。
ふだん気にしてなかったけど、ほんの少し整えるだけで、鏡に映る顔がぐっと引き締まった印象になる。
「ね? ほら、これだけでだいぶ大人っぽくなったじゃない」
さらに、淡いベージュのアイシャドウをさっと乗せ、マスカラを一度だけ。
「やりすぎるとギャル化して目立つけれど、このくらいなら学校でも全然バレないから大丈夫だよ」
唇には、薄く色づくリップをのせる。
鏡を見て、思わず息をのんだ。
「……これ、本当に私?」
もともと、顔立ちがくっきりして方だとは思っていた。
亡くなったお母さんは美人で有名だったけれど、そのお母さんからも「保奈美は大人になったら絶対に美人になるよ」とは言われていた。
そういう顔立ちのせいか、ナチョラルメイクなのに印象がぐっと華やいで見えた。
クラスメートの何人かが私を見て「え? 保奈美めっちゃ可愛いんだけど」とひそひそするようになってしまった……。
真央は得意げに笑った。
「ほらね? ちゃんとすれば、近隣男子のマドンナも夢じゃないよ」
「ちょっ……そんなのイヤだよ!」
慌てて否定する私。
だって私は、お家で直也さんのために、家事を頑張ることが一番大事なんだから。
でも――。
ふと、心の奥で、もう一人の自分の小さな声がした。
直也さんが出張から帰ってき時に、もっとキレイになった自分の姿で迎えたい。
「おかえりなさい」って笑ったときに、少しでも「可愛いな」って思ってもらいたいな。
…… 義妹だけど。
頬が熱くなって、思わず手で隠した。
「お義兄さんも、喜んでくれるんじゃないの?」
真央がにやにや笑いながら突っついてくる。
「そ、そんな事ないもん!」
でも心臓はドキドキしている。
直也さんのために料理を頑張りたい。
直也さんのためにお家を守りたい。
そして――直也さんに少しでも可愛いって思ってもらいたいな。
教室の窓から差し込む午後の日差しが、鏡に映る自分の横顔を照らしていた。
その横顔を見つめながら、胸の奥で小さく呟く。
――「おかえりなさい」を、一番キレイな私で言えるようにしよう。
だからちょっとだけオシャレを頑張ってみようかな。




