第27話:一ノ瀬直也
視察二日目の夜。会議が終わったあと、宿の温泉に浸かり、部屋に戻ると、廊下で浴衣美人と鉢合わせた。
「直也くん、ちょっと歩かない?」
声をかけてきたのは亜紀先輩だった。
外はもう暗く、温泉街の通りには赤い提灯が点々と灯っている。川のせせらぎと虫の声が響き、東京では考えられないほど静かな夜だった。
「今日の議論、直也くんはどう思ったの?」
並んで歩きながら問われ、オレは迷わず答えた。
「まだ形には遠いけど……充分に可能性はあると思います。条件さえ整えば、最短で5年から7年で実現する見通しも立てられるのではないでしょうか」
「ふふ。そういうところ、やっぱり直也くんらしいね」
横顔を見ると、先輩は少し笑っていた。
「リスクや障害ばかりを並べて、最後は“慎重に検討します”で逃げる人も多いのに。直也は、どうすればできるかを先に考える。……新人の時からそうだった」
オレは少し肩をすくめた。
「課題は山ほどありますよ。温泉地との共存も、送電線も、役所との調整も」
「そうね。……でもあなたが前に立つなら、私はあなたを支えるわ。言っておくけれど、元チューターだからというだけではないわよ」
さらりと口にされた言葉に、思わず立ち止まりそうになった。
亜紀先輩の声は穏やかだったが、そこには強い意志が感じられた。
「直也くんがこのプロジェクトの“推進力”になると私は信じている。ウチの会社だからこそ出来るITセクションの巨大プロジェクトは、あなたのような人が指揮するべきだと私は信じているの。その時に、直也くんをきちんとサポートする役割が必要でしょう?」
「……サポート……確かに必要ですね」
「そう。あなたは真面目すぎるから、全部背負い込んでしまうでしょう?でもそれではこういう大きなプロジェクトは絶対に回せない。だから私のサポートは必要よ」
オレは頷いた。
亜紀先輩は笑みを浮かべている。
「だから全部を抱え込まないで、私にもきちんと相談してね。私はあなたの補佐として、この計画に付くつもり。あなたが一人で抱え込まないように、ね」
温泉街の灯りに照らされた横顔は、大手町のオフィスに居る時と違って、すごく柔らかい。
「……よろしくお願いします」
自然に、そう口にしていた。
翌朝、宿を出る前。
温泉街を流れる川沿いを少しだけ散策した。山から吹き下ろす風が涼しくて、頭が冴えていく。
ノートを開き、前夜にまとめた骨子にさらに書き足す。
- JVスキームを早期に構築(電力会社を含める場合は調整に時間を要する)
- 国への特区申請の道筋(経産省ルート/環境省ルート)
- 自治体との合意形成のロードマップ(温泉組合説明会→還元策提案→観光振興基金)
- 初期投資分散のためのモジュール方式による段階的開発
そこへ亜紀先輩が顔を覗き込んだ。
「朝からもう動いてるの?」
「ええ。せっかく現地に来たんですから、考えをまとめておきたくて」
「ほんとに……あなたは仕事が好きね」
呆れたように笑う先輩。
けれど、その目には確かな期待が宿っていた。
この出張で掴んだものは大きい。
いける筈だ。――AIデータセンターを、日本資本で、しかもエコ電力で支える未来は、現実のものになる。いや、絶対出来る。
帰りの新幹線。東京に戻る前に、オレはそのたたき台をまとめ上げる決意を固めた。




