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第26話:一ノ瀬保奈美

 直也さんが岩手に出張に行ってから、まだ二日。

 けれど、家の中は驚くほど静かで、広く感じられた。


 ご飯を作っても、「美味しい」って言ってくれる人がいない。

 掃除をしても、「助かるよ」と笑ってくれる人がいない。

 ほんの数日なのに、やる気の糸がぷつんと切れてしまいそうだった。


 ――やっぱり、直也さんがいるから頑張れるんだな、私。


 そんな気持ちを抱えたまま学校に行くと、友達の真央が、にやりと笑いながら近づいてきた。

 「ねぇ保奈美。あんたさぁ、もうちょっと自分の顔、大事にしたら?」

 「え? 私、ちゃんと洗顔もしてるし、日焼け止めも塗ってるよ?」

 「そういうことじゃなくて!」


 真央は机に肘をつき、じっと私の顔を覗き込む。

 「素で十分可愛いんだから、ちょっと手を加えるだけで一気に化けるんだってば。……ほら、メイク、教えてあげる!」


 「えっ、私そういうのは……」

 慌てて首を振ったけれど、真央は容赦なくポーチを取り出した。

 「大丈夫。ナチョラルでいいの。ファンデなんて要らない。保奈美の肌はそのままで充分だから」


 そう言って、眉を軽く整えてくれる。

 ふだん気にしてなかったけど、ほんの少し整えるだけで、鏡に映る顔がぐっと引き締まった印象になる。

 「ね? ほら、これだけで大人っぽい」


 さらに、淡いベージュのアイシャドウをさっと乗せ、マスカラを一度だけ。

 「やりすぎると逆にケバいけど、このくらいなら学校でもバレないよ」


 唇には、薄く色づくリップをのせる。

 鏡を見て、思わず息をのんだ。


 「……これ、本当に私?」


 もともとの顔立ちがくっきりしているせいか、ナチョラルメイクなのに印象がぐっと華やいで見える。

 クラスメートの何人かが振り返り、「え、保奈美めっちゃ可愛いんだけど」とひそひそ声が聞こえる。


 真央は得意げに笑った。

 「ほらね? ちゃんとすれば、校内のマドンナも夢じゃないよ」

 「ちょっ……そんなの無理だよ!」

 慌てて否定する私。

 だって私は、家で家事を頑張ることが一番大事なんだから。


 でも――。


 ふと、心の奥から小さな声がした。

 直也さんが出張から帰ってきたら、もっとキレイになった私で迎えたい。

 「おかえりなさい」って笑ったときに、少しでも可愛いなって思ってもらいたいな。


 …… 義妹だけど。


 頬が熱くなって、思わず手で隠した。

 「お義兄さんも、喜んでくれるんじゃないの?」

 真央がにやにや笑いながら突っついてくる。

 「そ、そんな事ないよ!」


 でも心臓はドキドキしている。

 直也さんのために料理を頑張りたい。

 直也さんのために家を守りたい。

 そして――直也さんに少しでも可愛いって思ってもらいたいな。


 教室の窓から差し込む午後の日差しが、鏡に映る自分の横顔を照らしていた。

 その横顔を見つめながら、胸の奥で小さく呟く。


 ――「おかえりなさい」を、一番キレイな私で言えるようにしよう。

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