プロローグ2:一ノ瀬直也
父が再婚した。
オレが高校時代に、オレの母とは死別する事になった。子宮筋腫が悪性で、気が付いた時には肺まで転移している状況だった。その年の年末に母が亡くなり、それからは父とオレの2人だけの生活が、もう7〜8年にもなる。
父の再婚相手はとても穏やかそうで、オレの母を亡くしてから一人で支えてきた父を、本気で幸せにしてくれそうな人だとすぐに分かった。父もまだ年寄りという程ではない。だからオレがこの再婚について反対する理由なんてなかった。むしろ良かったと思っている。
とはいえ、考えるべき事が全く無い訳じゃない。
この再婚によって、オレには義理の妹ができることになった。
保奈美ちゃん――まだ高校1年生になったばかり。女子高生だ。
オレよりも八つも年下で、血の繋がりはまったくない。他人同士だったはずの二人が、今日からは「家族」として同じ屋根の下で暮らす。
女子校生と一つ屋根の下というのは、どうしても逆にいろいろ気を使う事になる。
オレはもう社会人として働いている。二十代前半、総合商社勤めで日々忙しい立場だ。毎日クタクタになって実家に帰ってくるオレからすれば、このタイミングで新たな家族が増えて、実家での所在のなさを感じさせられるのは、正直言えば嬉しい事ではない。
――年ごとの女の子と、どう接したらいいんだろう。
初めて会ったときの保奈美は、緊張で体を固くしていた。
オレが差し出した手を小さな指で握り返し、怯えるように目を伏せた。その姿が脳裏に残っている。
きっと不安なのだろう。知らない男と一緒に暮らすのだから当然だ。オレが逆の立場でも落ち着かない。
だからこそ、余計に迷う。
妹として扱うべきなのか。
それとも、もっと淡々と「赤の他人」として距離を空けたままにするべきか。
ビジネスモデルの検討や、投資判断の検討とは異なり、こうした人間関係に関しては、最良の答えというのはなかなか簡単には出ないものだ。
その日の夜、会社帰りに同僚の宮本玲奈と軽く夕食を取った。同期で、しかもオレと同じITセクションの同じグループに属している。
焼き鳥をつまみながら、オレはふと、玲奈の意見を聞いてみたいと思った。
「なあ、玲奈。もし急に義理の兄妹が出来て、その義弟と同居することになったら、どうする?」
玲奈は不思議そうに箸を止めた。
「義理の兄弟? 直也、そういう設定のラブコメでも読んだの?」
「オレはお前みたいなオタク趣味はないよ。……オレの親父が再婚する事になって、先週末からその連れ子の女の子が一緒に住むんだ」
「え、マジで? ―それって現役女子高生って事でしょ? 直也、やばくない?」
やばい、という言葉にオレは少し苦笑した。
「だから考えてるんだよ。いきなり、それまで『赤の他人』だった男女が、ある時から義兄妹として一緒に暮らすというのは、なかなかシビアな話なんだよ。相手側から見ても、一緒の家に微妙な年齢差の男が生活しているっていうのは、微妙に窮屈なんじゃないかな」
「まぁ……それはそうだよねえ」
玲奈は、好奇心半分、感心半分の目でオレを見た。
「それなら一人暮らしした方が楽じゃない? 妹さんも気を遣わなくて済むし」
確かに、一人暮らしという選択肢は頭に浮かんでいた。
「そういう方向性も考えているんだ。親父も年とはいっても、実家が新婚家庭になるなんて、正直ゾッとしないからな。それにさ……」
「それに?」
言葉が一瞬つまった。けれど本音を隠す意味もない。
「……8歳も年が離れた女子高生の気持ちなんか、オレからすればもはや全く分からない生き物だしな」
玲奈は、じっとオレを見つめて、やがて笑った。
「それはそうだよね。直也が現役JKと話を合わせていられたら、そっちのほうが、余程驚きだもん。真面目さと厳しさで形作られたお義兄さんは、ちょっと怖いなぁ……」
「なんか、馬鹿にしていないか?」
「ふふっ…褒めてるつもりだよ。――でも、気をつけなよ? 年頃の女の子と一緒に住むってことは、直也が考えているよりもずっと大変なんだから」
「……やっぱり、そうだよな……」
それはオレが一番理解していたことだった。
一番簡単な解決方法は、やはり、オレが出ていく事かな。
父と義母、それに年頃の義妹と一つ屋根の下の生活。
――仕事の事を考えても、別居するのが一番現実的だろうな。
なんとはなしにそう決めて、オレはグラスの冷たい水を一気に飲み干した。