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第9話:一ノ瀬保奈美

 夜中、何度か目が覚めた。

 熱のせいで体は重く、喉も渇いているのに、頭はぼんやりと霞んでいる。


 けれど――目を開けるたびに視界に入るのは、すぐ横で眠る直也さんの姿だった。

 きちんとソファに身体を預けて、片腕を毛布に添えるようにして。

 その顔を見た瞬間、胸の奥の不安がすっと消えていった。


 ――約束通り、すぐ側にいてくれた。


 それだけで、涙が出そうになるほど心強かった。


 本当は、風邪をうつしたくなかった。

 うつしたら、直也さんまで寝込んでしまう。

 直也さんは大切な体。もし風邪引いたら大勢の人に迷惑がかかる。

 だから距離を取るべきなのは分かっていた。


 でも――それ以上に、私は直也さんのすぐ傍にいたかった。


 寂しくて、不安で、どうしようもない夜。

 毛布を頭から被り、少しずつ身体をずらして、気がつけば直也さんのすぐ横に寄り添っていた。

 肩が触れるか触れないかの距離。息づかいを感じられる距離。


 その温もりを感じながら目を閉じると、不思議なほど安心して眠れた。

 ――私だけがお義兄さんを独占している。

 そんな小さな幸せを胸に抱いて、夢の中へ沈んでいった。


 翌朝。

 まぶしい朝日で目を覚ますと、直也さんはすでにリビングのテーブルに座り、ノートパソコンに向かっていた。イヤホン越しに低い声で英語を話している。会議中なのだろう。


 ぼんやりと起き上がった私の目に飛び込んできたのは、もう一人の姿だった。

 「おはよう、保奈美ちゃん」


 振り返ったのは谷川莉子さん。

 エプロンを身につけ、キッチンで鍋をかき回している。

 湯気の向こうから漂ってくるのは、おかゆの優しい香り。


 「熱、大丈夫? ほら、少しでも食べないと元気出ないからね」

 にこやかな笑顔に、胸がちくりとした。


 テーブルの上に置かれた器から湯気が立ちのぼる。

 一口すすると、柔らかい米粒と出汁の味が広がって、体がじんわりと温まった。

 「……おいしいです」

 そう呟くと、莉子さんは安心したように微笑んだ。


 その瞬間、胸の奥がざわついた。


 ――ここは私と直也さんの家なのに。

 ――私たちの“家族の場所”なのに。


 台所に立つのは、私の役目であるはずだった。

 直也さんと暮らすようになってから、料理も洗濯も、まだ不器用でも“私が守る”って決めたのに。


 「さあ、食べたら着替えて病院行こうね。熱が下がらないと大変だから」

 莉子さんに優しく言われて、素直に頷きながらも――心のどこかがどうしても反発していた。


 病院に連れていってもらいながら、私はずっと考えていた。

 ――どうして、こんなに不満なんだろう。

 莉子さんは優しいし、助けてくれているのに。


 でも、きっと理由は一つ。

 「直也さんと私の家族」に、他の人が入り込むことが、嫌なのだ。


 病院の待合室で、マスク越しに小さく息をついた。

 ――守るって決めたのに、まだ全然できてない。

 悔しい。

 次こそは、私が直也さんを支えたい。


 そう心の中で誓いながら、額にまだ残る熱を押さえた。

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