第8話:莉子への相談(一ノ瀬直也)
保奈美がようやく寝息を立て始めた頃、オレはホッとして深く息を吐いた。
保奈美の額に手を当てれば、まだ熱は高い。
頬は赤く、時おり苦しげに眉を寄せている。
――可哀想にな……。
このまま一晩様子を見るだけでいいのか――判断に迷っている。
自分一人で看病するのは構わない。
だが、女の子の体調不良となれば、やはり同じ女性に任せた方が安心だろう。
そして明日は朝から外せない会議がある。
海外支社とも繋げた重要案件会議なので、どうしても抜ける訳にはいかない。
オレはポケットからスマホを取り出し、連絡先の中から一人を選んだ。
『もしもし、直也くん? 珍しいね、こんな時間に』
受話口から聞こえたのは、落ち着いた声。幼馴染の莉子だ。
「悪いな。こんな遅くに……。
保奈美が熱を出していて、かなり熱が高い。
明日の朝、病院に連れていきたいんだが、オレは朝から会議でどうしても動けない。
……大変申し訳ないんだけど、少しだけ面倒を見てもらえないか?」
言いながら、胸の奥が少し痛んだ。
頑張ってこの家の生活を守ろうとしていた保奈美を見てきただけに、誰かに頼るのは情けない気もする。
でも今の保奈美の状況を見れば、背に腹は代えられない。
莉子は間髪入れずに答えた。
『大丈夫だよ。今すぐ行こうか?』
「いや、さすがに今夜はいい。明日の朝で大丈夫だ」
『分かった。じゃあ診察開始時間より前に行くようにするね』
その頼もしさに、思わず安堵の息が漏れた。
「助かる。本当にありがとう」
『気にしないで。
……保奈美ちゃん、きっと心細いと思うから、今夜はちゃんと傍にいてあげてね』
電話を切ったあと、しばらくスマホを握ったまま考え込んだ。
――莉子がいてくれるなら心強い。明日の朝はなんとかなる。
ひとまず風呂に入って汗を流し、そろそろ寝ようとしてリビングで寝ている保奈美の方に目をやった。
……その瞬間、胸が凍りついた。
保奈美が、起きて泣いていた。
毛布にくるまりながら、ぽろぽろと涙を流している。
「直也さん……一人にしないで……」
その声は震えていて、幼い子どものようだった。
胸の奥を抉られたような感覚が走る。
「……保奈美」
オレは慌てて彼女の横にしゃがみ込み、手を取った。小さな手は汗で湿っていて、熱を帯びていた。
「大丈夫だ。今晩はずっとここにいる。だから安心して寝なさい」
涙で潤んだ瞳がオレを見上げ、ぎゅっと指を握り返してきた。
その力の弱さに、逆に必死さが伝わってくる。
ソファの隣に毛布を敷き、オレも横になった。
保奈美の呼吸を感じられる距離で、彼女の手を握ったまま目を閉じる。
――こんなにも小さな存在が、こんなにもオレを頼りにしている。
守らなければ。
どんな自己犠牲を払っても、この子を守るのがオレの役目だ。
だが同時に、心の奥で別の声も囁いていた。
――これは危ういぞ。
「一人にしないで」と泣きつかれて、寄り添って手を握る。
それは、確かに彼女を安心させる行為だ。
しかし、この関係が曖昧なまま進めば、義兄妹としての距離感は簡単に壊れてしまう可能性だってある。
オレは義兄だ。
だからこそ、保奈美の事を、あくまでも義妹として大切にするべきだ。
線を引くべきところは、必ず明確にしなければならない。
目を閉じると、隣から小さな寝息が聞こえてきた。
オレの手を握ったまま眠った保奈美は、穏やかな顔をしていた。
――こんなにも可哀想で、こんなにも守ってやりたいと思うのだが。
まず何よりもオレは保奈美の “義兄” でなければならない。
胸の奥で改めての確認を自分自身に対して行いながら、オレもようやく眠りに落ちていった。




