第141話「龍将、やらかす」~分裂!30人の高道会議~
誤解に満ちた争いがようやく解け、渓谷に静寂が戻ったそのときだった。
龍将が、胸の奥から絞り出すような声でつぶやいた。
「我は……どうすればよいのだ……」
その巨大な影が揺れ、黄金の瞳が不安げに細められる。
龍の将がこの表情をするなど、後にも先にもこの時だけかもしれない。
その気配に僕が一歩踏み出した瞬間──
世界が、つい、と裏返った。
気がつくと僕は、知らない場所に立っていた。
空は青すぎて絵の具をぶちまけたよう。
地平には、折れ曲がった塔がいくつもぷかぷか浮かび、風のたびに「ぐにゃり」と輪郭が溶けていく。
「……あ、これ幻術ですね」
僕がつぶやいたその瞬間、目の前で塔の上に龍将が正座していた。
いや、正確には──
龍の巨体をどうにか折りたたんだ“正座っぽい何か”である。
「人間よ……いや、高道よ。我はそなたを呼んだわけではない……」
「じゃあ、僕は勝手に巻き込まれた形ですか?」
「うむ……すまぬ……」
龍将が目を伏せて肩を落とす。巨大な龍が“しょんぼり”すると、逆に迫力がある。
「……何があったんですか?」
「我は……怖いのだ……」
ぽつりと漏れたその声に、幻術の地面がぽちゃん、と波打った。
「人間たちに恨まれておると思い続けた長い時……
誤解とわかっても、今度は“間違っていた己”と向き合うのが、恐ろしい」
その一言に、塔が一つぼろん、と崩れた。
龍将の心が、そのまま景色に影響しているのだ。
「龍将さま。それは“投影”といって……」
僕が説明を始めた瞬間だった。
龍将の爪が、かすかに揺れた。
……嫌な予感。
「我の不安……どうにかしてくれぬか……?」
「えっと、話し合えば──」
「ならば……分けてしまえばよい!!」
「分ける!?」
光が爆ぜた。
——次の瞬間。
「うわぁぁぁ!?なんで僕が三十人いるんですか!!」
幻術により、僕が30人に分裂していた。
しかも全員、自我がある。
「落ち着いて!皆さん落ち着いて!僕が本物です!」
「いやいや、僕こそ本物ですよ!」
「まず班分けしよう!リーダー制だ!」
「お茶を用意してきました!」
勝手に生活を始めるな、僕よ。
「……に、賑やかだな……」
龍将が耳を塞ぎそうな勢いでつぶやく。
「龍将さま!なんで分裂させたんですか!」
「そなたの“心の声”が多すぎてな……
いっそ具現化したほうが、対話がしやすいかと思って……」
いやその発想はおかしい。
というか、心理相談でクライアントを30人に増やす医者はいない。
「ほれ!見よ!」
龍将が指し示す。
三十の僕は、それぞれ違う“気持ち”を持っていた。
「怒りの僕」「不安の僕」「気遣いの僕」「やる気の僕」「逃げ腰の僕」「過保護の僕」……
まるで心のカタログだ。
それぞれが言い合いを始める。
「僕は龍将さまは悪くなかったと思うよ!」
「いやいや、罪悪感は必要だ!」
「むしろ謝罪会を開こう!」
「甘やかさないで!」
「いやまずはお茶を飲んで落ち着こう!」
「……やかましいわ!!」
龍将の怒号が響き、塔が三つ崩れ落ちた。
僕(本体)は深呼吸して龍将の方へ向き直る。
「龍将さま。“己を知るのが怖い”っていうのは、普通のことです」
「そなたでも……?」
「僕なんて、遠出の前日に“準備万端!”って言いながら三回忘れ物します」
「それは……抜けておるだけでは……?」
「今それ言います?」
「す、すまぬ!」
塔が一つ、崩れた。
どうやら龍将はツッコミに弱いらしい。
僕は手を広げ、三十の僕に向かって言った。
「皆、ちょっとだけ静かにして。
龍将さまは今、“自分を許していいのか”って悩んでるんだよ」
三十の僕が一斉に頷く。揃いすぎていて怖い。
そして僕は龍将へ言った。
「龍将さま。許すというのは弱さではありません。
“間違えた場所から歩き直す”強さです」
その瞬間、幻術の空が揺れ、塔が光になって溶けていく。
龍将が、ぽつりと呟いた。
「……我は、己を……許してよいのか……?」
「もちろんです」
龍将の喉奥が震え、一滴、涙が落ちた。
すると——
分裂していた僕たちが一斉に光りだした。
「じゃ、本物! がんばれよ!」
「悩んだら相談しろ!」
「あと寝ろ!」
最後の余計な助言を残し、全員光になって消えた。
気づけば僕は元の渓谷に立っていた。
龍将は真っ直ぐに僕を見て、深く頭を下げる。
「高道よ。そなたの言葉は、剣より鋭く、光より温かい……
……ところで……」
「あ、言いたいことわかりました」
「正座が……
し、しびれておる!!」
「ですよね!!」
巨体の龍が足をぴょこぴょこさする姿を見て、
僕はどう声をかけていいのかわからず、ただ笑った。




